百神の王 50

一仕事終えた後、暫時の仮眠で休息を得ていたのは事実だったが、覚めて後もミトラはそのまま休息している振りを装って、宮から外には出ずにいた。そうこうするうちに、今は、もう、すっかり夜更けといっていい時刻となっていた。

ミトラは、本質的に静謐を好む。ことに今日のように気忙しい1日を過ごした後となれば、ゆっくりと一息つき、静かに、昼日中の出来事に思いを馳せたくもなるというものだ。

そんな気持ちで、軌道交差後は、有体に言って狸寝入りを決め込み、宮仕えの者たちには『取次ぎ無用』を徹底させた。日没後、スーリヤから仰々しい礼を尽くされては敵わぬ、と思ってのことでもある。あの者の立場及び心情を鑑みれば、スーリヤが協力を仰いだ諸神に挨拶に赴くは必然だが、自分は、スーリヤに恩を着せた気など毛頭なく、感謝を強要する気もない。とはいえ謝意を示されれば、立場上、それを受けぬ訳にもいかぬー面倒だと思ってもだーだから前もってソーマに託けた、スーリヤからわざわざ挨拶に来るには及ばぬと。

今も、ミトラはスーリヤのために尽力したとは思っていない。ミトラの心の中にあるのは、ウシャスの笑顔とその幸せだけだ。ウシャスが、スーリヤとの恋の成就を望んだ、彼奴と身も心も結ばれることを願い、その幸せを欲した、だから、手助けをした、それだけだ。スーリヤからの感謝は、あろうがなかろうが、ミトラには、どうでもいいことだった。

それでも、あの豪胆にして英明な青年が現スーリヤでなければ、今日のような光景は、この後何世紀待ってもみられなかったであろうなと思うと、自ずと口元が緩む。今日の空は、まこと、見ごたえのあるー壮観というしかない眺めであったから。

太陽が月に喰らわれていくように、徐々に影の部分が増していく様は、見ようによっては、禍々しく感じられる眺めだったと思う。全く、若い太陽亜神どもが、地上の生き物たちが動揺せずにすむよう、触れを出しておいたースーリヤが出させておいたのは、正解だった、と、ミトラは思う。

しかし、月の影が太陽を完全に覆い隠すや、空の光景は、どことなく不気味なものから、一転、畏れ多く、不可思議でありつつも、一種、荘厳で侵しがたい、神秘的なものへと変貌した。

というのも、暗黒の月?それとも黒の太陽というべきか?を中心に、その外縁全体から、仄かな輝きの、淡い金真珠色の光が溢れて零れでるように発光し始めたからだ。その光は、陽光のように強烈ではなく、故に世を遍く照らすことは叶わぬが、優しく照り映え、誰の目にも肉眼で見ることが可能な柔らかな輝きの光だった。真正の太陽の光ー炎の色ではなく、かといって純粋な光とも異なるー炎と光の二つが綺麗に等分に入り混じったような玄妙な色味であり、見ていると、その光は、一定のリズムで、艶やかに、鮮やかに、女神の衣の裳裾のように風に舞うごとく閃き、揺らめいた。時に強く鋭く、時に穏やかで柔らかな輝きを放つその光は、生き物の生命の脈動のようでもあり、風に踊り戯れる花々が、悦びの歌を歌っているようでもあった。

その様を見て、ミトラは確信したのだ。ああ、太陽と暁紅は、深き喜びに満ちた融和を、無事、果たしつつあるのだと。あの、抑えきれずに自ずと溢れ零れるような柔らかな輝きは、彼らが完璧な調和をもって、歓喜と幸福の歌を奏でている、その証なのだと。

ミトラには、ヴァルナのように、スーリヤと精神を同調させる術はない。なので、ヴァルナにスーリヤとの目の同調を薦めてー唆したというほうが近いかもしれないがー実際に、意外にも素直に、ヴァルナが、意識をスーリヤにつないでしまったら、特にすることがなくなって、手持ち無沙汰になり…ウシャスの無事と幸せを祈るように、空を仰いでみたら、目に入ってきた光景がそれだった。息を飲み、たちまちのうちに、その玄妙なる眺めに心奪われた。

とはいえ、時折、視線を戻してヴァルナの様子を眺めるのも、また興味深いものだった。ヴァルナがスーリヤと精神を集中させている時と、そうでない時が、見ているとあからさまにわかったからだ。意識を同調させている時は、ヴァルナは、呼吸も忘れた様子で、その白皙の顔を、頬どころか耳まで真っ赤に染めあげる。そして、暫くすると、強すぎる刺激を逃すかのように、いっとき意識を散じて休むのだが、ある程度休んだら、また、思い切ったように、決死の面持ちで意識を集中させる。が、暫くするとまた、熱気に当てられてのぼせたような顔で長々と吐息をついて、一休みする、その繰り返しだった。そして、変化する顔色から鑑みるに、ヴァルナが意識を集中させている時間と休んでいる時間とでは、休み時間の方が圧倒的に長かったのだが、それでも、ヴァルナは、スーリヤとの意識同調を、決して途中で投げ出すようなことはせず、悲壮なまでの面持ちで、かつ、途切れ途切れではあっても、軌道交差が終るその時まで続けていた。その様子を見ていると、ウシャスの実体化が首尾よく行っていること、それ以上に、この時、ウシャスは、あのスーリヤから、蕩けんばかりの深く豊かな情愛を注がれ、幸せに浸っていることが、ミトラには、手に取るようにわかった。

だって、ヴァルナがスーリヤとの意識同調を続けている、辞めたくても辞められない、それこそ、ウシャスが幸せな時を過ごしている何よりの証左ではないか。スーリヤとの情交が寒々しく味気ないものだったり、手前勝手で独りよがりなものであれば、ウシャスは花嫁としての悦びを知ることあたわず、なれば、ヴァルナは、もう観察する要はなし、と判じ、早々に意識の接触を断っただろうからだ。しかし、ヴァルナはスーリヤとの精神同調し続け、接触を断たない、否、どうしても断てずにいた。ヴァルナが、休み休みとはいえ、二人が愛を交わす営みを、継続して見守っていたのは、スーリヤがウシャスに注ぐ労わりと愛情に、ウシャスへの触れ方・接し方に、全く瑕疵が見当たらない、つまり、スーリヤを非難するような材料が全くみつからない故だろう。だから、ヴァルナは、継続して、それも必死に、スーリヤの粗を探し続けねばならなかった。彼にとって喜ばしいこととはいえぬのだが、もしもウシャスが、スーリヤとの情交に酷い苦痛を訴えたり、不快を示す折があれば、ヴァルナは「ウシャスを苦痛から守る」という大義名分を掲げ、彼らの情交をー完全にではなくとも、中途で阻止できるかもしれない、その可能性をヴァルナは捨てきれなかった。だからこそ、意識を同調し続けた。いや、もしかしたら、そんな目論見も抜きに、ヴァルナは、ウシャスが、初めての情交に、どんなものであれ不快感や苦痛を覚えてやしないか、とにかく心配でたまらず、見守り続けずにはいられなかった、単純にそれだけだったのかもしれないが。

とにかく、ヴァルナは虎視眈々と、スーリヤの落ち度を伺い続け、もしくは、はらはらと気を揉みながらウシャスを見守り続けた、そして、いつまでたっても、どう目を凝らしても、スーリヤの欠点が何ら見いだせないからこそ、いつまでも、精神の接続を解けずにいたのだろう。

『あのスーリヤ、まこと、口先だけではなかったようだな…それでこそ、我らのウシャスを預けるに足る、というもの…』

実際、スーリヤは、尽く有言実行の男だと、ミトラは苦笑交じりに感心せざるをえない

ヴァルナのその顔つきを見るだけでも、スーリヤとウシャスがこの上なく豊かな時を過ごしているのは、察せられたが、ミトラとしては、同じ事実を感じるなら、ヴァルナの顔色より、空を彩る鮮やかにして艶やかな輝きを放つ金真珠の光の閃きを見ている方が、ずっと、目に心地よく、気持ちも満たされ和んだ。えもいわれぬ美しさで翻る光は、そのまま、ウシャスの悦びの深さ、鮮烈さを現しているようだったから。

そして、月の影に完全に隠されていた太陽から、一際鮮やかな光芒が瞬き、眼を貫くように迸った瞬間、ヴァルナは、彼らの愛の成就を、光と炎の完全なる融和を感じ取った。いや、自分でなくとも…この鮮烈な閃光を目にしたものなら、誰でも、その意味は自ずとわかるだろうと思えた。

が、こやつには…ヴァルナには、それだけでは足りぬ。「だろう」では駄目なのだ。だから、どのような甘言を弄しても、脅してでも、スーリヤと意識を同調させ、ウシャスが愛の喜びに満ちたりゆくさまを、直に見せ付ける必要があった。正しい…とは言わぬ、そこまで、自分は傲慢ではない。ただ、ウシャスにとって、世界にとって、幸福の形は一つではないこと、より幸福な、望ましいと思われるあり方がありうることを、知ってもらうために。

「おまえが幸せであること、それが、私には、何よりの大事…」

自分では、教えられなかった、与えられなかった幸せーウシャスに触れることができるのはスーリヤのみ、というこの世の黎明からの誓約=制約があり、一方で、スーリヤの神力は甚だ不安定であり…故に、誰も、彼女に恋の悦び、女性として愛される悦びを教えられる者はいないと思い込んでいた処に、その幸せを彼女にもたらせる者が現れた。ましてや、彼女自身がその幸せを望んでいたのだから、ミトラは、自身としては、当然のことをしたに過ぎないと思っていた。

だが、この幸せを、今後、守り、育んでいくのは、おまえたち自身だ。無論、そのための助力とあれば、私は、力を惜しむまいが。

とにかく、現実を突きつけられたヴァルナは、酷く考え込んだ面持ちで、自らの宮に帰っていった。現実におきてしまったことは、おきてしまったこととして受け入れ、ウシャスの幸せとは何か、について改めて考えさせることができたのなら、あの石頭も、多少は柔軟な思考をする余地が残っていたということだから、見込みはある。となれば、今後、ヴァルナがどう動くかを案ずるより、感情で動いているラートリーへの対処の方が肝要、というか、より、やっかいかもしれぬな…と、ミトラが考え込んでいた時だった。

すぐ至近で、鮮やかな紅の気ー常より朱がかっていたーを感じた。

まさか、と思った。

と、思う間もなく、この世の何者よりも艶やかにして清らか、可憐にして美しい乙女ーいや、今宵、この世で最も可憐にして幸せに満たされた花嫁が、眼前に現れ、恭しく脚を引き、頭を垂れて、ミトラに麗しい礼を尽くしてくれた。

「ウシャスよ…わざわざ、私に会いにきてくれたのか…」

ほのかな朱金に発光する気をまとって現れた女神は、ミトラに声をかけられて、一層典雅な礼を返した。

「はい、ミトラ様、いきなりお訪ねするご無礼を、どうぞ、お許しくださいませ。不躾とは思いましたが、どうしても、直におめもじして、御礼申し上げたく…ありがとうございます、ミトラ様…私は、今日、皆様方のお力添えのおかげで、心蕩けるような、無上の喜びを…この身には過ぎるほどの…信じられぬほどの深く豊かな幸せを知ることができました。本当に…本当にありがとうございます。これも、ひとえに…皆様がたの…」

「ああ、そう、かしこまらずともよい。私は、おまえが、満ちたり、幸せなら、それでいいのだ。仰々しい礼には及ばぬ」

ミトラ神は、ウシャスにのみ見せる、この上なく優しい笑顔を向けた。

ウシャスは、軌道交差が終り、太陽と月の重なりが解けるや、また、大気中に拡散してしまっていたのだから、礼には及ばずという我ら三神の意思を知る機会があるはずもなく、だから、わざわざ挨拶に来てくれたのだということは、ミトラにも、すぐ察せられた。だから

「だが、おまえのその気持ちが私には嬉しい」

という言葉も、その後続けた言葉も、それぞれミトラの本心だった。

「そして、それ以上に、お前が、私に会いにきてくれたこと、そのこと自体が嬉しい、だから、もう礼には及ばぬ、顔をあげてくれ、ウシャスよ。それでなくとも、小さく愛らしいおまえなのだから、これでは…おまえがいつまでも頭を下げたままでいては、私には、おまえの髪しか見ることができぬではないか。無論、おまえの巻き毛は美しいが、私はおまえの愛らしい顔(かんばせ)の方が見たい。さ、顔をあげて…もっと私の近くに参れ、そして、おまえの姿をよく私に見せてくれ…名ばかりではない…真に幸せな花嫁となったおまえの姿をな…」

「ミトラ様…」

恥じらいと誇らしさと喜びとに頬を染めて、ウシャスは、つ…と慎ましげに、ミトラに近づき、顔をあげ、まっすぐにミトラを見あげた。

ミトラは、我知らず、息を飲んだ。

もとよりウシャスは愛らしく美しい。が、以前と今とでは、明らかに、美しさの性質が異なってみえた。

以前のウシャスは、淡い色の花の蕾のようだった。いたいけで、いじらしく、無邪気でけがれない。何がなんでも守ってあげたいと誰にも思わせる、たおやかで、透き通るような儚げな美しさの持ち主だった。

が、今のウシャスには…透き通るような美しさはそのままに、身中から光が発しているような、まぶしく輝かしい力強い美しさが加わっていた。それは、躍動する命の輝きであろうか、ウシャスは、朝露の珠を花弁に宿した、咲き初めたばかりの花を思わせた。溌剌として瑞々しく、弾むように生き生きとして、命のきらめきに輝いている、そんな風にミトラの目には見えた。

その上に、うるむ瞳のなまめかしさに、濡れたような紅い唇に、ミトラは思わず見惚れる。乳色の肌は、練り絹のようにあでやかに艶めき、ふわふわの金の髪は、以前にも増してつやつやとまばゆいばかりに輝いている。すっくとした姿勢のよい立ち姿の中に、女として愛し愛される悦びを知ったゆえか、匂い立つような色香が、内側から溢れ出んばかりだ。

同様に、スーリヤから全身全霊で深く愛されているその事実が、矜持と自負を知らしめたのか、今のウシャスからは、凛として涼しげな意思の力と、誇らしげな雰囲気をもが感じ取れた。

ウシャスは、内からにじみ出るような強い輝きを得て、より、一層の美しさを増した、それだけで、ミトラは自分たちの行いは正しかったと言い切れた。

「ウシャス、生まれた時からおまえはこの上なくきよらに愛くるしかった…が、愛し愛される喜びを知った今のおまえは、尚、一層、まばゆいばかりに美しい…まさに内から光り輝くようだ…」

その真正面きっての手放しの賛辞に、

「ありがとうございます、ミトラ様。身に余るお言葉を賜り光栄です、でも、もし、私が美しく見えるのだとしたら、それはオスカーが…スーリヤ様の愛が私を支え、その炎の力が、私を輝かせてくださっているからです、きっと」

ウシャスは、恥じらいながらも、誇らしげな笑みで応えた。

「体調はどうだ?炎の気をその身に受けて、何か、変わったことはないか?」

「はい、むしろ、とても、私は今、心強い気持でおります。そう容易くは、飛散しない、そう思えるだけの核とか芯のようなものが、私の真中を貫き、確としてある、そんな心持ちがいたしますゆえ…」

「そうか…それは何よりだ」

「はい、これも…ミトラ様やソーマ様、トバシュトリ様のお力添えあってこそです…」

「私自身は、そう大した労力も払っておらぬがな。お前の婿がね…スーリヤの先読みのおかげで、楽をさせてもらい、こちらこそ、礼を言いたいくらいだ」

契りに際してヴァルナの妨害があろうことを先読みするまでは、多少目の効くものなら、他にもできよう。が、彼奴を抑えるために、私の契約神の力を使うとは、私自身、思いもよらず、しかも、実際に、私は、とても楽をさせてもらい…それは、ある意味、爽快、かつ、痛快ですらあった、と、ミトラは、思い起こす。天父神に次ぐといわれるー実質天界一の彼奴の神力を、それこそ何の苦もなく…正直、小指の先ほどの力で抑えられるという経験は中々なかろう。しかも、力を抑えられたヴァルナ当人が、己に理がないことを、理性では理解できても、感情では中々納得できかねている顔も見物であった。あやつの、あんなにも豊かな感情の発露を見せられたのは、何千年ぶりだろう、あやつには、蒼穹神といえど義務のみにて動くにあらず、自身にも感情があったことを思い出すいい契機となったであろうよ、と思うと、こちらが礼を言いたいくらいだ、という言葉は、まごうことなき、ミトラの本心だった。自ずと口元も楽しげに緩む。

「滅相もございません、ミトラ様。ミトラ様が、トバシュトリ様にお声をかけてくださり、私たちへのお力添えを打診してくださったことも、聞き及んでおります。ソーマ様、トバシュトリ様、ミトラ様のどなたがいらっしゃらなくても、今の私の…私たちの今の幸せは、ありえなかったものです…ですから…どれ程お礼申し上げても、足りることなどございません、まことに、まことにありがたく存知あげ…ます…」

ウシャスが、感極まったか、募る感謝の念が抑えきれずか、唇を震わせて、一筋の涙を流した。

「同じ涙でも…喜びの涙とは、美しいものだな…おまえが幸せならそれでいい、なればこそ、私も、及ばずながら、力を尽くした甲斐もある」

「はい…」

「だが…これから、手にした幸せを守り、育んでいくのは、おまえ…おまえたち自身だ。おまえたち自身の手でなさねばならぬことだ。それは、わかるな?」

「はい、ヴァルナ様と、そしてラートリーにも、どうあっても、わかっていただきます。この前のように…泣く事しかできずに、引き下がるような真似はいたしません、ご尽力くださった皆様方のお気持ちに報いるためにも…」

「そうか、強くなったな、ウシャスよ」

ミトラは、優しい眼差しで、満足げに頷いた。

ウシャスの決意の程を試すような問いをなげたものの、ミトラは、内心では『今の、おまえの、この凛とした美しさを見れば…今のおまえの姿を見れば、おまえたちの婚儀は、むしろ、あるべきことだったのだと、分かる者には自ずとわかると思うがな』と考えた。そこに

「オスカーが…スーリヤ様が、私を支えてくださいますから…二人で一つの夢に向かえば、その力は2倍になりますもの」

と、ウシャスが、力強く、にっこりと微笑んだ。その笑みをみたことで、ミトラは、己の考えの正しさを、より、強く確信し、確信したことで、ある思いつきを得た。そこで、ウシャスの様子を注意しつつー彼女の輪郭が揺らいだり、おぼろげになったりしていないかをー確かめた後、こう、問うてみた。

「ふむ、頼もしいことだ。安心したぞ。ところで、おまえは、これからソーマのところにも、顔を出そうと考えているか?」

「あ、はい、そのつもりです。ただ、最下層にいらっしゃるトバシュトリ様には、今の私では、直接お礼を申し上げにいけぬことが、なんとも、心苦しく…」

「そのことだが、ソーマとトバシュトリには、わざわざ個別に挨拶に赴くには及ばぬぞ。我ら3人で決めたのだが、雨季に入って、スーリヤにも余力ができた時に、おまえたちが、幸せでいる様子を…二人揃って我らに顔を見せにきてくれればいい、とな、その時にあわせてトバシュトリも、この階層に来るよう、決めている、スーリヤにも、その旨、ソーマが伝えているはずだ」

「!!!…ミトラ様…はい、喜んで…では、雨季に入り次第、改めまして…喜んで、オスカーと共に、ご挨拶に伺います」

ウシャスは、こくこくと、懸命に頷いた。

「それでだな…ソーマのところに赴かずにすむ、となれば、おまえは、まだ暫し、ここに居れそうか?…」

「はい…あの…私がそう思いたいだけかもしれませんが…以前より、ずっと…自分が揺らがない気がするのです、なので、以前より、多少は長く、この身体を保っていられる、そんな気がしますから…」

「そうか、なら、この場にヴァルナを呼ぶか?」

「ヴァルナ様をですか?」

心底意外そうにウシャスが問い返してきたので、ミトラは重々しく頷いた。

「そうだ、スーリヤと二人、無事、契りを交わした旨を報告し、おまえたちの愛の確かさをヴァルナに訴えるのもいいが、それは、やはり、スーリヤが動きやすい雨季の到来を待つことになろう?だが、雨季を待たずとも、今のおまえの姿をヴァルナに見せれば、ことはそれで十分に足りる、と、私は思うのでな」

「私の今のありようをお見せするだけで、ヴァルナ様がわかってくださると…?」

アンジェリークは思いもかけぬミトラの提言に驚きを隠せない。無論、ヴァルナに自分たちのことをわかってもらうため、何らかの形で報告をし、場合によっては対峙せねばならないという覚悟はあった、が、それを今、しかも、こちらから赴くのではなく、ヴァルナを呼び出す形でするとは、考えてもいなかった。

「ふ…ヤツも感情ではわかりたくはないと思うかもしれんが、それでも、納得せざるをえない、ということになろう。それとも、ウシャスよ、スーリヤがおらぬと…一人では心細いか?ヴァルナは、軌道交差の様子からおまえたちが婚姻の契りを交わしたことを既に察していようし、それを快く思っていないかもしれぬからな…」

飛び飛びとはいえ、二人が契る一部始終をヴァルナに見させていたことなどおくびにも出さず、ミトラはウシャスの覚悟がどれ程のものか探るような言を呈した。が、ウシャスは、怖じたり躊躇ったりする様子もなく、毅然と顔をあげ、きっぱり、言い切った。

「はい、わかります、ミトラ様、以前のヴァルナ様のお考えからすれば、私たちが契りを交わしたことを、ヴァルナ様が快く思われないだろうことは…けど、だからこそ、ヴァルナ様に分かっていただかなくてはならないと、私も思います…」

と、ここまで言うとウシャスは懸念顔になった。

「でも、本来、お話をさせていただく方の私がヴァルナ様をお訪ねするのが礼儀、なのに私がヴァルナ様をおよびたてするなぞ、失礼ではないかと思うのですが…それでも、ミトラ様は、今、そうした方が良いとお考えですか?」

「ああ、なにせ、やつの気性を考えれば、やつは、自らおまえに会いにはこれぬだろうからな」

「え?それは、いったい…」

「ヴァルナのことだ、今、おまえが、私の元にいることは、気から察していることだろう…となれば、真実、スーリヤの妻となったおまえの様子を…炎の気を受けても、おまえは、無事、実体化を果たせているのか、体に何も変わった処はないか、今頃、自分の目で確かめたくてたまらんだろう、が、それでも、ヤツは、ここに顔は出せまい。おまえとスーリヤの契りに反対していたことを、当のおまえに知られているからこそ、やつは自分からはおまえに会いにはこれないのだ。以前、おまえを泣かせてもいるから、あわせる顔がない、という気持ちもあろうし、天則に背いたわけでもないおまえを、やつから職務権限で呼び出すこともできぬ。元々、お前たちは天則に認められた夫婦なのだから、契りを交わすことに何ら問題なぞなかった、逆に、あやつの妨害の方が理のないことだったから、今更自分から「許す」と言いにくることもできぬ、そんなおかしな話はないからな。だから、おまえから「会いたい」と声をかけてやってほしいのだ、光の女神の望みは何にも勝るから、おまえの方から望んでやれば、やつもおまえに会える、言い換えれば、おまえから望まぬ限り、ヤツはおまえと会おうとはせん、いや、会いたくても会えぬだろう」

すると、アンジェリークは、一瞬、大きく瞳を見開いた後、少し、顔をうつむかせて、申し訳なさそうに、ぽつりと呟いた。

「私…今も、自分がまちがったことをしたとは思っていませんし、もちろん、後悔もしてません。でも、ヴァルナ様にたくさんご心配をおかけしてしまったこと、ご心痛を感じさせてしまったことは、きちんとお詫びして…その上で、私は、こんなに元気ですから、ご心配には及びませんって、ヴァルナ様に安心していただかなくちゃなりませんね、ミトラ様」

「まったく、いつも思うことだが、本当におまえは、賢く、優しい。心から好ましく思うぞ」

「いえ、お恥ずかしいです、ミトラ様。今、ミトラ様にご指摘いただくまで、ヴァルナ様が、どれほど、私のことを案じ、心配してくださっていたか…きちんと、わかっておりませんでしたのに…ヴァルナ様のご判断は、全て、私の無事を思ってのことでしたのに…それと、ミトラ様、私、ラートリーのことも、この場に呼んでかまいませんでしょうか」

「無論だ、何事も、おまえの望むままに…好きにするがよい」

恥ずかしそうに、少しうつむいたまま、アンジェリークは、瞳も閉じて、いつも、この上なく自分を大事にし、かわいあがってくれてきた蒼穹神の名を、次いで、大好きな自分の姉妹神の名を心の中で呼んだ。

間髪いれずー数を1数える間もおかず、蒼穹神がー怪我をしたと聞いたわが子を迎えにきた父親のように、血相を変えて、慌てふためき、必死な面持ちで、ミトラの宮に姿を現した。

が、いくら待っても、青紫の髪と瞳をもつ夜の女主人は、ミトラの宮に姿を現さなかった。

 

ラートリーが司る夜は、常に麗しく、つつがなく過ぎる…はずだったが、昨夜に限っては、小さな波紋があった。

乾季のこととて、太陽神は日没後程なくして休息に入るので、あまり神経をとがらせずにすむので助かっていたのだが、昨晩、ラートリーは、久方ぶりにウシャスが顕現を果たした気配をミトラ神の宮で感じた。

その瞬間、ラートリーは僅かに火の気と思しきものも同時に感じた、ような気がして、その身を強張らせた。もし、スーリヤが、ウシャスの傍にいるのなら只ではおかない、と、緊張して、よくよく気を探ってみれば、感じたと思った火の気は、太陽神の物にしては、あまりに微弱で曖昧でーラートリーとしては、ウシャス顕現に際し、火の気を躍起になって探るせいで、ありもしない火の気が、その場にあるように錯覚したーつまりは、気のせいだ、自分は逸りすぎていたのだ、と結論付けざるを得なかった。

と、暫くして、もう一つの高雅な光の気が、ウシャスの間近に顕現したこととーヴァルナだと、すぐ知れたーそれにほぼ重なって、自身に呼びかけるウシャスの声を、ラートリーは感じた。

が、自分を呼ぶ声が聞こえても、ラートリーはその場に赴かなかった。

ウシャスが、まず、ミトラの宮に顕現したこと、つまり、真っ先にミトラに会いに行った、その事実が業腹だったからだ。

ミトラはウシャスとスーリヤの恋を支持すると表明しているから、ウシャスは、かの男神に、何か、相談事でもしに行ったのだろうとは推せたが、それが、ラートリーにはなんとも腹立たしく、口惜しい。久方ぶりに顕現したかと思ったら、真っ先に行くのがミトラのところなのか、ミトラには自ら会いにいくくせに、何故、姉妹である私のところに先にウシャスは来ないのか、と瞬間的に、理屈ぬきに、不快に感じてしまった。無論、スーリヤとの恋に異論を唱えている自分に、ウシャスが進んで会いにこないのは当然だと思う部分もあるのだがーだってウシャスと顔をあわせれば、自分は、絶対、スーリヤの悪口を吹き込み、そんな恋などやめてしまえと憎まれ口を叩いてしまう、そして、ウシャスは、とても哀しそうな顔をするのだーそれでも、腹が立つものは立つ。そして、腹が立って仕方なかったからこそ、意地でも、自分からウシャスには会いにいくものか、とラートリーは決めこんでしまった。あの子が、スーリヤとの恋をきっぱり諦めたと自分から言いにくるまでは、夜明けの儀式の時以外、顔をあわせてやるもんですか、と強がり、その強がりを押し通してしまった。

それに、ミトラの宮での、ミトラが立ち会っての会見となれば、またぞろ、スーリヤとの仲を認めてくれとか、そんな嘆願に決まっている。そう思うと、そんな言葉は欠片も聞きたくなかったラートリーは、その場に赴く気になれなかった、というのもあった。ラートリーが聞きたいのは、スーリヤとの恋はもうやめる、とか、気持ちは褪めたとか、そういうウシャスの言葉だけだった。それ以外の言葉など耳に入れたくなかった。

だが、その場に、自分と立場を同じくするヴァルナの気配があることが、ラートリーには、少し、気にかかった。

ラートリーは、その時、自身を呼ぶ声に気を取られていたので、ヴァルナも、ウシャスに呼ばれてその場に現れたのか、それとも、ヴァルナが勝手に押しかけたのかどうかまでは、わからなかった。

もし、ウシャスの気をミトラ神の宮に見出して、ヴァルナが勝手にその場に押しかけたのだとしたら、まったく、すごい度胸だと、ラートリーは感心するより他にない。呼ばれもしないのに、その場におしかけて、迷惑がられるような態度をとられたらーウシャスは、そんなことはすまいが、一緒にいるミトラは、露骨に顔や態度に出しかねないーラートリーだったら、いたく誇りを傷つけられて、憤死してしまいそうだ。

でも、ヴァルナは、強い信念に支えられているから、自分の主張がウシャスを泣かそうが、ウシャスのどんな訴えを耳にしようが、揺らがない自信があるのだろう、だから、意見が食いちがっている二人にも平気で会いにいけるのだろうし、むしろ、逆に、ウシャスを説得するいい機会と捉えたのかもしれない。そう思うと、ラートリーは、ヴァルナがうらやましいような、うらやましくないような、複雑な気持になる。私は、そこまで、徹底し切れない、あの子の哀しそうな顔を見るのが、辛くてたまらない。かといって、スーリヤとの仲を認めたくもないから、会いにいけなくなるー真正面切って向かい合うことから逃げたくなる。あの子と、じっくり話すような機会を避けてしまう。

それというのも、私は仕事でではあっても、毎朝、ウシャスに会えている。だから、どんな機会も逃さずウシャスに会いに行きたいとまでは、思いつめずに済んでいるからかもしれない。でも、もし、仕事上で会う機会がなければ、私も、ヴァルナ様みたいに、ウシャスの居るところには、お呼びでなくとも、押しかけてしまったかもしれない…と思うとラートリーは恐ろしかった。毎朝、すれ違う極短い時間でもウシャスの姿を間近に見られ、その様子をー元気そうか、とか、顔色はどうか、とか、確かめられるからこそ、ラートリーは、まだ、余裕を持っていられる自分を自覚していた。ウシャスが、すれ違いざま、必ず、自分に微笑みかけてくれるのもー自分はあの子に捨てゼリフをなげつけるようなマネをした、その翌朝でもだーラートリーの気持ちを楽にしてくれていた。楽だからこそ、今の状態から、出たくなかった。

特に、この乾季のウシャスは、とても、溌剌として、生き生きしてて、見ていて安心できた。恋が進展する見込みがあるとは思えないのに、ウシャスは、日々、健気に、希望を捨てずにいるように思えた。そんなウシャスが不憫で、ラートリーとしては、尚のこと、さっさとスーリヤのことなんて見限ればいいのに、と思ってしまう。でも、そんな言葉を口にすれば、ウシャスの顔が曇ることがわかっているから、言うにいえない、ウシャスに会うに会えない、そんな煮詰まった心持ちでいた。だから、職務上でのみ、ウシャスと毎朝、顔をあわせられることが、ラートリーには、むしろ、救いだったともいえる。きちんと話はしなくてもすみ、でも、、ウシャスの様子を見て伺うことはできるから。

そして、やはり、この朝も、ウシャスは飛び切り美しかった。昨晩、自分が彼女からの呼びかけを無視してしまったことに、気を悪くしているような様子も、特にはみえず、ラートリーは、ほっとする。昨晩の呼び出しは、きっと、他愛のないものー軽くおしゃべりしたいとか、そういう程度のものだったのだろう、そう、大した用件ではなかったのだと、思い込もうとする。

それにしても、今朝のウシャスはいつにも増して、まばゆく輝かんばかりに美しいわ、と、儀式に臨むウシャスをみて、ラートリーは口元が緩む。こんなに美しいウシャスに、スーリヤが恋するのは当たり前だけど、神力が不安的極まりない火の子にウシャスから恋なんてしたら、ウシャスが辛い思いをするだけ。ああ、どうしてウシャスは太陽神の妻とさだめられてしまったのかしら…あの子の生まれた経緯を考えれば、仕方ないことなんだけど、それでも、ウシャスの恋の相手が、神力が安定している神なら、私だって、ここまで反対はしなかったのに…

そんなことを思いながら、儀式にさだめられた形式通り、典雅な舞を舞うようにウシャスとすれ違い、目と目で笑みを交し合ったラートリーは、ウシャスの横顔のいつにもました艶やかな美しさに目を見張り、同時に、何かが意識に引っかかった。と、すれ違い終わった、その瞬間、ラートリーは、ウシャスの居る方から、常ならぬ気が漂ってくる気配を感じ、思わず、その場に立ち止まってしまった。どうしても信じられぬ思いで、儀式の型を自ら崩し、ラートリーはウシャスの居る方に振り返ってしまう。そして、ウシャスの後ろ姿を、見つめなおして、その場に棒立ちになった。口からは当惑、というより呆然というほうが近い、そんな言葉が零れた

「ウシャス…あなた…どうして?…変だわ、私…あなたの内側から…僅かだけど、火の気を感じるなんて…そんなこと…ありえないのに…」

ウシャスは、火の泉で禊をすることで火の気を一時的に、仮初に表にまとう、だから、ウシャスから火の気を感じるのは、当たり前のことなのだけど、今、感じた火の気は上っ面の…借り物とか表層の気ではなく、内側から薫りたったような気がした。でも、その絶対量は、極僅かだった。すれ違いしなに僅かに香った程度とでもいうべき、ほのかなものでもあった。

すると、ウシャスが、これもまた、いつもの儀式ならありえないことだが、ラートリーの方を振りかえって、にっこりと微笑んだ。その笑みを見た瞬間、ラートリーの身に戦慄が走った。その笑みは、ラートリーの知る、あどけなく、いといけな童女のそれではなかった。あでやかな牡丹か芍薬か、さもなくば紅に朱の刺し色が入った薔薇が爛漫と咲き誇り、うっとりするような甘い香りを発する、そんな華やかで、艶やかな…艶然というに相応しい笑みだった。

その笑みを見た瞬間、ラートリーは、悟った。何か、ウシャスの身に、取り返しのつかないことが起きたと。ウシャスは、私の手の届かないところに、行ってしまったのだと。

即刻、姉妹神の元に駆け寄って問い詰めたかった、でも、問い詰めても、きっと、もう、どうしようもないことなのだとも思った、何より、ラートリーは、あんなにも艶やかで、誇らしげで、幸せそうなウシャスの笑みを見るのは初めてだった、ウシャスが得たものが何であれ、彼女自身はそれを、晴れがましく誇らしく感じ、限りなく幸せだと思っていることが、その笑みから自ずと知れた。

「ウシャス、あなた…」

問いたいこと、言いたいことで、ラートリーの胸は破裂しそうだった、でも、もう間もなく、ウシャスが夜明けを紡ぎに出立する刻限だ、そして、ウシャスが出立すれば、程なくスーリヤが現れる。このまま神殿に留まっていたら、夜の女神である自分は、程なく、スーリヤの御する太陽の放つ光輝に焼きつくされ、あえなく消失してしまう…

ラートリーは後悔していた。昨晩、妙な意地を張らず、ミトラの後塵を拝したことに拘ったりせず、3神の会見に、無理にでも顔を出せばよかった、と。さすれば、きっと、ウシャスの驚くべき変貌の理由は…知りたくないような気もしたが、その場でわかったような気がしたから。

後ろ髪を引かれるとは、このことだった。どれほど、この場に留まっていたい気持があっても、夜の女神ラートリーは、太陽神が東の神殿に現れる前に、逃げるようにして、次元の狭間に入らねばならなかった。陽光に焼かれて、消滅しないために。

 

常ならぬ、といえば、今朝はヴァルナが、夜明け前に、ウシャスに声をかけた。異例中の異例といえた。

火の泉で禊をすませ、花嫁の緋の衣と金のヴェールをまとって、これから夜明けを紡ぎだす役目を担うウシャスは、それこそ、スーリヤ以外の者が、指1本でも触れてはならぬ、神聖な存在だ。何かの拍子に、その礼装に手を掠めることすら恐れ多いので、大事を取って、遠巻きに眺める以外のことをヴァルナはしたことがない。

だから、今も、十分に距離はとった上で、ヴァルナは懸念と不安をあからさまに滲ませて、ウシャスに声をかけてきた。

「今朝も…いつもと変わらず、夜明けの儀式を執り行えそうか?ウシャスよ」

「はい、ヴァルナ様」

「今朝、禊のために、実体化した時も、いつもと変わったところとか、何某かの違和感とか、そういうものは、全くなかったのだな?」

「はい、ヴァルナ様、むしろ、いつもの朝より泉の水も心地よく、今の私は、気力に溢れておりますゆえ…」

「そうか…」

明らかに安堵の表情を見せたのも束の間、ヴァルナは、きっと口元を引き結んで、厳しい目でウシャスを見据えた。

「が、まだ、実際に夜明けを紡き、そなたが無事陽光と一体化するまでは、安心できぬ」

「はい、承知しております、ヴァルナ様。どうか、私が、夜を開くさまを見守っていてください」

ウシャスは、にっこりと屈託なく微笑むと、引き出されてきた紅色の牝馬に、軽々とその身を乗せ、意気揚々と天の道へと歩を進め始めた。

ヴァルナが、祈るような気持ちでウシャスの歩みを見守る中、ウシャスはその麗しき腕から、しなやかな指先から紅色の暁光を紡ぎ、紫紺の空を鮮やかに切り開いていく。ウシャスの通った後の空が、徐々に、目にも綾な紅の色に染まっていく。今朝の暁紅の空は、いつにもまして、生き生きと艶やかに美しく、それでいて、この上ない優しさに満ちていた。

ヴァルナが、紅の空の美しさに見惚れているその最中、いつの間にやら、神殿の車止めには太陽の馬車が引き出されており、太陽神の正装に身を包んだスーリヤが、大股で馬車に向かおうとしていた。

まさに百神の王というに相応しい威風堂々とした立ち居振る舞いだった。

昨日滲ませていた緊張は今は見えず、替わりに、今のスーリヤは、えもいわれぬ自信とはちきれんばかりの生命力に溢れている、そんな風にヴァルナには見えた。

が、スーリヤは、ヴァルナの姿を認めると、無言のまま、深々と頭を下げた。丁重であるのに、堂々とした礼だった。

自信に溢れてはいても傲岸不遜ではない、丁重で礼儀正しくはあっても、身を小さくすることはない。自らの信念に沿い、真情にしたがって誇り高く生きている彼は、そして、同時に、多くの者の友情と厚意に自らが支えられていると知っている彼は、常に昂然と頭をあげ、誰をも真っ直ぐに見つめられる自負と矜持をもちながら、同時に、謙虚さと感謝を知る者でもあった。

と、車止めに向かうスーリヤがヴァルナの横を通り過ぎた時、ヴァルナは、我知らず、首を捻り、スーリヤに振り返った。今朝のスーリヤから、今まで感じたことのないような光の気配をーとても微弱なものではあったが、清らに澄み切って、きらきらしく輝くような極上の光の気を、感じたからだった。そして、その光の気は、限りなく高雅であると同時に、ヴァルナには、慕わしく、よくなれ親しんだ、好ましい気でもある、そんな気がした。

『?…スーリヤから、こんな気を感じたことは今までなかった…だが、私は、この気を…この気の持ち主を、よく知っている…つい、今しがたも、この気を感じた…この気高く、汚れなく、暖かな気は…』

そう思った時、ヴァルナは、昨日、太陽の変容をこの目にした時と同じか、それ以上の衝撃を覚えた。そして、すぐ次の瞬間、ヴァルナは、その衝撃を隠し切れぬ様子で、信じられぬという顔とあわてた様子で、スーリヤを呼び止めた。

「待て、スーリヤ」

「なんでしょう、ヴァルナ様」

呼び止められたスーリヤは落ちついた声で、用件を問うた。警戒や緊張は微塵もなく、無論、おどおどしたり、びくついたりする卑屈で気弱な風情もない。仕草は自然で、悠々としており、身体のどこにも力みもない。

「時間はとらせぬ、しばし、そのまま…そこに立っていてくれ」

こういうと、ヴァルナはスーリヤに向かって掌を掲げ、瞬間、大きく瞳を見開いて息を飲んだ。そして、のろのろと手を下ろしながら、搾り出すようにこう言った。

「そなた…わかっていたのか?こうなることを…」

この不可解な言葉を訝しがることもなく、スーリヤは、予期していた問に、予め用意した答えを呈するように、静かに、淡々と答えた。

「最初から、こうなると知っていたわけではありませんし、可能性に気づいた後も、確証はありませんでした。もしかしたら、というくらいで、俺としては、結果オーライに近い…というと「なんと乱暴な」とヴァルナ様にお叱りを受けそうですが、この結果はあくまで副次的な産物です、これがなくとも、俺の目的は叶った、と俺は思っていますが…今、俺の身体に宿り、燦然と光を放っている、このきよらなものは、いわば、彼女からの予期せぬ贈り物といったところです、ただし、何物にも替えがたく、この上なく貴重で…俺にとっては、何よりも大切な…俺を支えてくれる、そんなものです」

「よくいう…全ては、計算の上であったのだろう?」

スーリヤ=オスカーは、何も言わず、ただ、にやりと不敵に笑った。

が、すぐさま、恭しく頭を下げると

「では、そろそろ、失礼いたします。俺は妻を迎えにいかねばなりませんので」

誇らしげで喜びの隠せぬ、否、隠そうとせぬ声でヴァルナにつげると、スーリヤは少年のように太陽の馬車にかけより、颯爽と御者席に乗り込んだ。と、スーリヤの心情そのまま映すかのように、日輪が、轟と音を立てて、勢い良く燃え上がり、その熱気の凄まじさ、目も眩むほどのまばゆい輝きに、かなり距離をとっていたにもかかわらず、ヴァルナは思わず、瞳を閉じた。そして、じりじりと顔を焼くような熱気が、薄れるまでー太陽の馬車が天空の道に駆け出していくまで、目を開けられなかった。

漸くヴァルナが目をあけて、天空の道を見やると、遠くに、小さく、太陽の馬車が紅に染まった空をつらぬく姿が見えた。殊更に美しくみえた今朝の暁紅は、これも、今までになく長い時間、その空を彩っているように、ヴァルナには思えた。

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