百神の王 8

天界において、神々が住まうこの都市をアマーラヴァティーと言った。

神殿の祭壇から降りたった所で、オスカーは、簡便な歓迎の意と労いの言葉をかけられた。声のした方に顔を向けると、一人の男性が立っていた。腰の辺りを組紐で結わえた、全体にゆったりとした足元まである長いローブを身につけている。炎暑ともいえる気候の火の地では、まず見ない装いだ。穏やかな人好きのする容貌のその男性は、やはり温容な口調で、自分は、これからあなたに、この都市をざっと案内し、学生の宿舎までお連れするのが役目であると、告げた。

右も左もわからぬオスカーは、素直に、その男に従った。

重厚な石造りの扉をくぐりぬけると、大規模な都市の景観が目に入ってきた。街路は不規則な形に切りそろえられた石がパズルのようにきっちり組み合わされてきれいに舗装されている。その街路同士は、一定の間隔でほぼ直角に交わっているようだ。土がむき出しになっている部分は、オスカーの目には見あたらない。周囲の建築物も同じ石材で建てられているらしく、ざっと見渡す限り、同じ色合い、同じ風合いの石壁がどこまでも立ち並び、町並みは非常に整然としてみえた。

が、それは、各々の建物に特徴が乏しいということでもあるので、気をつけないと道に迷いそうだな、とオスカーは思う。しかも、街中には目印になるような特徴のある木々どころか、草の緑そのものが見あたらない。徹底して人工的かつ整然とした居住環境は、どこもかしこも土の匂いや草いきれに富み、雑多な生命の息吹が溢れる、言い換えれば無秩序でもあり鷹揚とも天衣無縫ともいえる火の眷属の街とは対極の観があった。

街の様子を物珍しげに見まわしていたつもりはなかったのだが、案内役の男性から、天界の神が住まうこの都市は幾つもの階層に分かれており、オスカーが降り立ったこの街は、そのうちの一つにすぎないことと、また、この天上都市の中では最下層の部分にあたるのだと、オスカーは教えられた。

『そして、この街には、君のように、素質を見込まれて招聘され、勉学と鍛錬に励むよう期待されている若者が大勢います』

人の良さげで親切そうなこの案内役はにこやかに言葉を続ける。

案内人の話から、オスカーはこの天上都市の形態を巨大な地蜂の巣のようなものであろうかと想像した。そして最下層の町とは、すなわち最も下界に近いということでもあるので、この街は所謂ゲートシティであるということらしかった。火の眷属に限らず、様々な出自の眷属たちが、最初は一様にこの街の先刻オスカーが送られてきた神殿に降り立つとのことだった。

その多くはオスカーのように突出した神力を見込まれた少年たちである。少年たちは、この都市での文教地区に集められ、各々の能力や適性にあわせて更なる教育と鍛錬を受けるのだという。また、天界に招聘されるような少年達は、招聘されたその事実をもって、神となる資質は十二分であり、この時点で既に下界の下位神たちより、神力に勝っている者も実際には多い。しかし、どれほどの素質と潜在的な力があろうと、神の名を賜るまでは、皆、一介の学徒に過ぎないので、そう華美な生活は許されない。ゆえに、これから案内する文教地区での生活も、食事も含め、勉学に必要なものは潤沢かつ無償で供されるが、宿舎自体は他の留学生との相部屋になるとのことだった。

オスカーは、その案内人の訓告の意味を考える。何故、聞きもしないのに華美な生活への戒めを予め与えるのか、それは天界に招聘されたという事実を以って、自分が特別な存在だと自惚れる、もしくは、元いた世界で実際特別扱いされて来た者が多いからだろうか。確かに、それぞれの世界で力の強い者が選ばれてこの地に来る以上、元の世界では、一目置かれていた者も多いだろう。

火の学び舎の宿舎では、オスカーは個室を与えられていた…だから、夜に宿舎を抜け出すのも容易かったのだが、ここで留学生を相部屋にするのは、居住面積の問題というよりは…留学生同士を交流させるために、わざと、多人数部屋にしている…こっちの方がありそうなことだ、とオスカーは思った。元いた世界では特別扱いされていた井の中の蛙も、ここでは、その他大勢の一人に過ぎないことを思い知らせ、自惚れと高慢の鼻をへし折るためか…そこまで意地の悪い意図ではなく、単に種々雑多な眷属同士、互いに敬意を持って付き合う術を学ばせるためかもしれんが…どちらにせよ、狭い世界といわば身内ともいえる近しい眷属との付き合いしか知らなかった者たちには、いい経験になるのだろう。そんな考えをめぐらせていたオスカーは、そういえば、今、神殿に出現したのは、自分一人だったことも思い出した。

「今、召還されたのは、俺1人のようですが…」

とオスカーが尋ねると、さまざまな世界からやってくる学徒たちの召還には特に原則も時間的な制約もないから、たまたま、今日は君1人しかいなかったのだといわれた。傑出した才能が頭角を現す時期に規則性はないから、その時々の必要に応じて招聘は行われる。だから、一時に何十人もの若者があの神殿に現れる時もあれば、今のように、1人だけの時もあるし、毎日のように門が開く時もあれば、数カ月ぶりに門が開くこともあるという。招聘される眷属も多岐に渡っており、眷属によって割合の上限が決められているわけでもないので、ある一つの眷属が集中して多く招聘されることも、またその逆もあるということだった。

「でも、しばらくすると、何故か、五つの眷属の割合は偏らず満遍なくという状態に落ち着くんですよ、不思議なことですが」

と、案内係りが最後に付け加えた。

それはつまり、ここが容赦なく公平な実力社会だからではないのか、とオスカーはちらと思った。

僅かでも才能の片鱗をうかがわせるもの、見込みのあるものには、学ぶ場と機会を潤沢に与えるという点で、天上界は鷹揚であり公平なのだろう。しかし同時に、招聘されても力が伸び悩んだり、真摯に鍛錬に打ち込まないものは、すぐに淘汰され、元いた世界に帰されるのではないか。召し上げる数も多いが、故郷に返される若者も多い…つまり、回転が早いので、結果として、天上界で学ぶ若者は一定の割合、一定の人数に落ちついてしまうのではないかと。

この時のオスカーの考えは憶測の域を出ていなかったが、実のところ、そう的外れでもなかった。

天界は、光・地・水・土・火の各々の世界で、特に突出した力を発現しそうな人材を見つけると、これを天界に召し上げて、その才を育み開花させる場と機会を公平に供していた。能力のある者に、その実力に見合った神の名と職責を与えるべく。それは、世界を導く神々の能力を常に高く清新な水準に保つための合理的なシステムであり、五界のうち天界が若者たちの教育と才の伸張に責を負っているのは、この世界全体を監督し導くのが、天界神の中でも最高神の一人、蒼穹神ヴァルナの勤めであるからだった。

もちろん、各界から召し上げたはいいが、力の伸び悩む者もいたし、この天上界の見かけの煌びやかさに惑わされたり、召還されたことで満足してしまって、もう努力しなくていいのだと勘違いしてしまう者もいた。そういう者は速やかに元いた世界に帰され、各々の地で各々の力の器に見合った権限の神の名を拝命するか、神殿に仕える仙になるかするのだった。

オスカーは、この時、ここまでの内情は知らなかったが、自分たち若者の召還目的が勉学及び肉体の鍛錬により各々の神力を更に高めることであるなら、逆に、その目的に見合わない、実力及び努力の足りないものは淘汰されていくのではないかと予想できたし、そう考えて行動しておいた方が安全だろうと思った。

どちらにしろ、この天界は俺にとってゴールじゃない、俺の目指すゴールは、ようとは知れぬ遥か彼方にあり、今の俺は、いわば、レースの参加を許されたばかり、目的の地にたどり着くためのスタートに漸く立てた所なのだ。天界に召還されたことで浮かれたり、実力を認められたと満足してしまって、せっかくのチャンスをふいにする愚は決して犯すまい、とオスカーはこの時、心中密かに、そして固く決意した。

オスカーが、色々と考えを巡らせている間も、案内係りの説明は続く。

この街には、オスカーのような程なく神に叙される可能性の高い学徒たちの他に、元々はただの人間として一生を終えるはずだったが、様々な理由で聖者の列に加えられたり、神の名を賜った者たちも住んでいるということだった。曰く『英雄』と賞賛されるほどの稀有な武勲をたて、戦いの中で果てた者は、人間としての死後、その魂を、水精アプサラスにこの地に運ばれ、神の一員に叙される。また更に稀有な例だが、工巧神トバシュトリのように、人間として生あるうちでも、類稀なる発明の才と多大な功績を認められて、天界入りを許され神の一員に叙された者もいるということであった。

ゆえに、この地区は神都市では最下層とはいっても、それは、あくまで地理的な意味合いでの名称であり、蔑称として下層と称されているわけではないとのことだった。しかも、この地区は他の4世界と天界を繋ぐ玄関口でもあるために、賑やかな点では天上都市随一なのだという。都市自体の面積も広く、5つの眷属が入り混じり集まって暮らしているため人口はこの天界の都市中で最も多く、物流の面でも最も豊かで賑わっている地域でもあるということだった。地上からの供物も、最初は全てこの階層に集められるし、工巧神の工房もこの階層にあり、様々な神々の必要に応じてありとあらゆる神器が作られ供されているとのことだった。

オスカーがざっと周囲を見回すと、確かに人の行き来が多く、賑やかな雰囲気だ。オスカーは、今まで、自分の考えに没頭していて周囲にあまり注意を向けていなかったのだが、よく見ると、街行く人々の外観も、火の地とは大きく異なってる。多くの人が、案内係りのように、ゆったりとした淡い色の長衣を身につけている。天の世界の住人は、火の地では祭祀を司る神官くらいしか身につけないであろう、なよやかでやわやわとした衣類を男性女性の区別なく身につけているようだ。してみると、この長衣は、天界の神官特有の衣装というわけでもなく、天界では、むしろ、ありふれた普段着なのかもしれない。長衣ゆえか男女による装束の区別もそれほど明確にはないようだ。服装の色合いは全体に町並みに合わせたかのような明るめで淡いものが多い。

火の地は気候は雨季乾季を通して温暖で、また、人々はほぼ自給自足の生活のため、火の眷属の身にまとう衣類は、基本的に質素で単純、飾り気のない素朴なものが多かった。女性は膝丈くらいの、すとんとした衣装が多かったし、男にいたっては腰布一つが普通だった。素材も男女ともに織りっぱなしのざっくりした布帛が主だったから、そういう衣装を見慣れているオスカーの目には、天界の装束は風雅すぎて頼りなく、また、実用的ではない風に見えてしまうが、これも文化と地域性、気候の差というものであろう。

そういえば、と思い、自分の身を見下ろせば、儀式前に自分の身を覆っていた赤橙色の霞のような装束は今は跡形もなく消えて、オスカーは火の地にいた時のままの簡素な腰布1枚の姿に戻っていた。恐らく、アグニ神の火でこの身を焼かれた時に、あの霞は俺の身体を熱から守って燃え尽き、消失してしまったのだろうと思った。

自分の身体を見下ろしていたオスカーの様子に何か察したのか、案内役は、『衣類も含め必要なものは宿舎で全て用意してあるので、君は、何も持たずに来て大丈夫なのですよ、何も心配はいりません、特に、火の眷属はアグニ神の炎の力で天界に送られますから、何か持ってこようと思っても、大抵は燃え尽きて消し炭になってしまってますのでねー、皆さん、一緒ですから』と言ってくれた。

オスカーは苦笑しながら、素直に礼を言った。

火の眷属としての装束を恥じても、困惑してもいなかったし、異邦人であることを隠す気もなかったが…なにせ、話によると、この街の住人のほとんどは、天上界では異邦人であるらしいとわかったからだ。住民の大多数が光の眷属ではない天界の町で、自分が光の眷属でないことを恥じたり隠したりする必要がどこにあるというのか。自分の身なりも、火の地においては、当然かつ合理的なものだったのだから、今の自分の見た目が周囲の者と違っていても、それを隠そうとか、居心地の悪い思いを感じる心理はオスカーにはなかった。

だが…それは、ここが異邦人ばかりが集められた町だと聞いたからでもあろう。もし光の眷属の純粋種ばかりの天界に、一人異邦人として投げ込まれたら…それは、やはり、居心地の悪い者もいるかもしれないな、とオスカーは虚心に思った。元々は人間だったのに神に叙された者や、他の眷属の中には、天界にすぐには馴染めず居心地や帰属意識の点で精神的に辛い思いをする者もいるだろうから、この「最下層」と呼ばれている街に種種雑多な眷属が一同に集められているのは、差別的な意味で1地域に押し込められているということではなく、むしろ、天界の親切心ゆえからではないだろうかと、オスカーは考えた。

『天上界の最高神なんて、まさしく雲の上にいる浮世離れした神かと思っていたが、思いのほか、人心の掌握には長けているのかもしれんな』

アンジェリークも天上界の最高神であることを思えば、最高神といえど、その心性やものの感じ方考え方は自分たちとあまり替わらないのかもしれないと素直に思えるが、これも、アンジェリークの人柄を知っていなければ、こんな風に考えられたかどうかわからないな、とオスカーは謙虚に考えた。

そのうち、人の行き来が少なくなってき、一際静かな、だが、建築物自体は多数ある街角に出た。

天界における文教地区に到着したようだった。あまたの訓練施設、学究施設、資料棟、そして学徒たちの宿舎等があるという。ここに来て、オスカーは建物の裏手にこんもりと緑の生い茂った小高い山…というよりは丘か…を初めてみつけて、なんとなくほっとした。生粋の天界人以外の眷属…火、土、水、風の眷属たちは、皆、程度の差こそあれ、ある意味泥臭い環境で生育してきたはずだから、石造りの壁だけに囲まれていたら…木々の緑や土や水の匂いといったものが、身近に感じられないと、それこそホームシックを起こす者が多数いるからなんだろうとオスカーは思った。自分もご多分に漏れずその一人だと思ったからだ。できれば、小さな池か泉もあるといいが…と、オスカーは、一瞬感傷に捉われそうになり、慌てて頭を振った。オスカーは、街中のどこまでも際限なく単調に続くような石壁の味気なさに、思ったより自分が辟易していたのかもしれないなと思い、天界人は、その性質からあまり雑多な雰囲気や変化を好まないのかもしれないということも感じた。そして、文教地区の敷地全体をざっと案内された後、オスカーは、自分がこれから暮らすことになるという宿舎に案内されることとなった。

「あなたには、あなたの素質に効果的と思われる教育プログラムが用意されていますから、明日から、それに従ってしばらくは教育を受けてくださいね」

という案内係りの話を聞いてオスカーは、とりあえず、鍛錬と勉学を、火の地にいたように懸命にとりくむのがよかろうと見当をつけた。

通りすがりに資料室と図書館らしき建物を見た時は心が躍った。火の学び舎にはほとんど資料がなかった天界の神々のことについて、きっと比べられない位資料があるはずだ。天の娘ウシャスの関する文献も…火の地には壁画と絵物語しかなかった…たくさんあるに違いない。そして、ウシャスの夫たるスーリヤに関する文献も…。太陽神になるために必要な資質や才覚に関する記述だって、もしかしたら、あるかもしれない。

それを思うと、オスカーは胸が騒いだ。高鳴るとも、不安で動悸がするのとも異なり、ただ、胸が騒いだ。

勉学や鍛錬の合間に、資料棟は自由に使えるのか、いや、この後すぐに使ってもいいのかを、オスカーは早速案内人に尋ねた。案内人は、少し驚いたようだったが、答えはOKということだった。

ここがあなたの部屋です、と言って案内人はある部屋の扉を開けた。そして、必要なものは戸棚の中と机の中に、宿舎内部の時刻表…起床や食事の刻限を記したものと、明日からの予定表は机の上にあります、その他のわからないことは、同室の学徒に聞いてください、と言って案内係りは立ち去った。

オスカーはとりあえず、部屋の中を見渡した。

簡素で清潔な造りだった。学生用の宿舎にしてはかなり広い。石造りの建物にしては天井も高く、窓が大きくとってあり採光も良い。よく見れば、窓には大きな石英を延べ板にしたようなものがはめ込んであった。数秒後、この石英のようなものがいわゆる玻璃だと気づいたオスカーは思わず目を見張った。火の地では玻璃といえばもっぱら職人が粘土の型にあわせて1つずつ焼いて作る装飾・工芸品のことであり、建材に使ったりしない。そんなに大量に作れないし、こんなに透明度が高い玻璃も大きく平らな玻璃もオスカーは目にしたことがなかった。

家具は壁に沿って支柱付きの寝台、文机、衣装戸棚のセットが3つずつあり、部屋の中央付近におかれた背丈の低い木製の書棚が緩やかな間仕切り替りにもなっているようだった。3人部屋であることは明白だったが、演習か講義の最中なのか、この時、部屋の中には誰もいなかった。が、二つの机には、私物らしいものがおかれているのが見えた。では、残りの一つが、自分用だろう。既に部屋に先住人がいるということは、先輩の中に新参の自分が入るということだが、オスカーは、その事に関しては特に不安もなければ心配もしていなかった。ここに来る学生たちは、いわば皆が皆転入生のようなものだし、自分の考えが正しければ、学生の移動はかなり頻繁、つまり、古参の学生や先輩風を吹かせるような存在は、そう滅多にいないと思われたからだ。

この中に、当座に必要な学用品や衣類が支給されているということなので、それに関しては特に確認をすることもせず、整理すべき荷物もなかったので、オスカーは早速資料棟に足を向けた。

自分が目指す到達点に、これが正解という道筋はないだろうし、近道や早道も多分ないだろう。だから、あてどもなく、オスカーはありとあらゆる可能性にぶつかっていくしかない。それがわかっているから、オスカーは可能な限り身体を鍛え、知識を蓄えるつもりでいた。そして、目の前に知識の宝庫がそびえたっている、ならば可能な限り、施設は利用させてもらわねば。

俺自身に、どれほどの時間があるのかわからないのだから。最高位の火神となる力を身につける前に俺の成長のピークが来てしまうかどうかは…賭けなのだから。できる限り時間は有効に使わねば。

俺は、到達点をいかに先に伸ばすか、その間に、火の力と身体をどこまで鍛え上げることができるか、目に見えない戦いに挑まねばならない。同じ天界にいても、更なる高み、遥けき彼方にいる至高神をライバルとして、駆け上がっていかねばならないのだ。そのためには、天界のこと、天神たちのこと、どうすれば、効率よく力を鍛えていけるのか、短時間のうちに調べ、学ばねばならないことは、いくらでもあると、オスカーは考えた。

 

格が違う…

つい、先日、天界神たちの力を目の当たりにした時も、痛切に思いしらされたことだったが、今、オスカーは、改めて、天界と火の地の差異に圧倒されていた。

オスカーにとって資料室、書庫とは、自分の目線より少し高い程度の書棚が多数並んでいる、しかし、一つの単元についての書物は、せいぜい棚一つ分を占めるくらいの量しかないので、目を通そうと思えば、すぐ読みきれる…と、この程度の認識だった。実際、火の地にいた時はこんな感じだった。火神以外の神について調べようとした時も、すぐ、あたるべき資料には当たりつくしてしまい、結局通り一遍のことしかわからなかったという経験があった。

が、この天界の資料室ときたら、どうだ。火の地のそれとは比べるのが申し訳ない程、資料の量、そして恐らくその内容・質も…圧倒的に違いすぎた。

今のオスカーは火の眷属としても長身の方だったが、その己の身の丈の倍はあろうかという高さの天井まで、まさに見上げるほどの壁の全てが書籍及び何らかの資料で埋め尽くされている。もちろん壁だけではない、室内の書棚一つ一つが天井とほぼ遜色ない高さにしつらえてあるので、一度書棚の只中に分け入れば、巨大な迷路にでも入り込んだような気分になることは必定だった。

しかも、3階建ての建物のこの棟全体が書庫及び資料室になっているということが、入口の案内からわかっていた。

これだけ書物の数が多いということは…片っ端から闇雲に書棚の背表紙を見て、本を探しだすことなど、まず不可能…それでは、目当ての資料は一生かかっても見つけだせないだろうということだった。そして、オスカーには、そんなに悠長な時間はないのだ。自分が天界のこの階層にいられるのが、1年か、2年か…その間に、できる限り、火の地では得られない知識を吸収したいのだ。勉学において回り道は時に面白く有用なことも多いが、今のオスカーにはのんびりと寄り道をしている時間は無い。

しかし…オスカーは考える…この地にいる時間が限られているのは、自分だけではない…むしろ大多数は、期間限定の住人なのだから、となれば、効率よく、資料を探すためのシステムがあるか、もしくは資料室の水先案内人のような役職がいるのかもしれない。少なくとも、この広大な資料を整理する人員は、絶対にいるはずだが、今、見渡したところ、資料室には人気がなかったので、係員を探して、目当ての資料の検索方を訪ねることもできなかった。資料棟自体はいつでも自由に使えても、そこに勤務している係員の勤務時間からは、今が、外れているのかもしれない。

オスカーは、逸る心のままに、焦って部屋を飛び出し、資料棟に来てしまったことを少し後悔していた。施設の使い方の案内や書庫の規模を、事前に案内をみて調べてこなかったので…天界の蔵書量を甘く見ていたのだ…まさに無駄足を踏んだという気分になっていた。こんな無駄な事をしていては、せっかく用意された環境を十全に利用できない。

自分では、落ち着いているつもりだった。もう、腹はくくったと思っていたから。

しかし、やはり、自分では意識していない処で、天界に来て、見たことも無い物を多数見て、気持ちがうわずっていたのだろう、焦って準備不足のまま闇雲に動いても何も成果は得られないことなど自明なのに…。

そういえば、今は、この世界で何時頃かもわかっていなかったことに気づいた。ここに案内された時は外が明るかったが、だからといって、今が、この世界の朝や昼間だとは限らないということにも、はたと気づいた。

宿舎に在室すべき時刻や、点呼や門限があるかどうかも調べずに部屋を飛び出してきてしまっていた。

今は、戻るしかなさそうだ。

ここで暮らすためのシステムを、自分が熟知し慣れないと自由に動けない、何も知らずにたた歩きだすのは、地図も無い見知らぬ地を歩むようなものだ、程なく迷い、立ちすくむことになる、それは単なる時間の無駄だ。

ようやく、いつもの思考回路が戻ってきたな、と自分で自分を笑い、オスカーは自室に戻ろうと、踵を返した。

 

自室に戻る途中の回廊で、何処かの部屋から話声が聞こえてきた。

「どーしちゃったんだろうねぇ」

「もう、とっくに着いててエエ頃やのになぁ」

「せっかく歓迎してあげようと思ってんのに。どっかで迷ったのかねぇ」

「ここ、慣れてないと、何処が何処だか、わかりにくいもんなぁ、行っても行っても似たような町並みとかドアとか、ずーっと続くもんなぁ、光の眷属のこのきちーっとした処って、正直、俺も、いまだ、ようなじめんし…」

「まさかだけど、もしかしたら…今度の人も、一度ここに来てたりして…で、これ見た途端、回れ右しちゃったとなんてことないかねぇ…前の人みたく…」

「いや、まさか、いくら火の眷属は回転が早いたって、幾らなんでも、そこまでいらちやないやろ…」

「わっかんないよー。下手にプライド高いと、こんなのやってられっか!って…」

オスカーが自室の扉の前に立つと、その部屋の中から人の話声が聞こえているのだとわかった。あの会話はどうやら、同室の先住者のものらしかった。自分が資料棟に行っている間に、部屋に帰ってきたのだろう。聞き慣れない言い回しがあったので、会話の内容は十全にわかったとはいいかねるが、もしや、自分のことが話題になっているのか?と、いう推測はオスカーにもできた。

なので、いきなり扉を開けたりはせず、オスカーは扉を軽く拳で叩いてから…この習慣の意味が火の地と同じであることを祈りつつ「失礼する」と言って部屋に入った。

1人は些かくすんだ落ち着いた色合いの金髪、もう1人は若草のような緑の髪を、共に肩の下あたりまでおろした少年二人がいっせいに扉の方に顔を向けた。

オスカーは、ずいと、身体を乗り出すと手を胸元で合わせて軽く礼をし…火の眷属の挨拶としては最も一般的かつ万能なものだ…機先を制するように自己紹介をした。

「初めてお目にかかる。俺は火の眷属でオスカーという。この部屋を使うようにと言われた。あなた方は、この部屋の先輩がたとお見受けするが…。」

「あ、ああ…」

二人が同時に頷いた。

「右も左もわからぬので、何か面倒をかけることもあるかもしれないが、以後、よろしくお願いする、何か不調法な言動があった場合は、遠慮なく、なんでも指摘してくれ。なにせ、俺は、つい先刻、この地についたばかりなので、ここでの習慣や常識に不明なんだ」

一瞬、二人の男性は驚いたように目を見開き、互いに顔を見合わせてから、順番に名乗りをあげた。

「いらっしゃーい、オスカー…いうたな?いや、それは、ここに来たもんは皆、立場は同じやからお互い様っちゅーことで。俺はチャーリー、風の性を持つ。以後、よろしゅうに」

「ようこそ、お待ちしてたよ、火の子。私はオリヴィエ、光の眷属…と言っても、極北の地の出なので、あんたたちと同じ留学生として、ここで学んでる」

「オリヴィエに、チャーリーか…改めてよろしく頼む」

「ああ、こちらこそ、よろしく」

「火の子は、律儀っちゅーか、お堅いなぁ、それにしても中々来ぃへんから、心配してたで、どっかで迷ってるんじゃないかって」

「確かに、迷ってたようなものだな。実は、この部屋に案内されてからすぐに書庫に行ってみたはいいものの、あまりの広さと書物の多さに、どこから手をつけていいかわからず、すごすご、逃げ帰ってきたところなんだ」

二人が、また顔を見合わせた。

「あんた、さっき来たばかりだよね?それで、もう書庫で文献漁りしてたの?」

「ごっつー真面目やなぁ!」

「いや、火の地にはない書物や資料が、あるかと思って、ほんの好奇心で見に行ってみたが…見識が甘すぎた。何も調べないで行ったものだから、どこにどんな関連の書物があるのか全然わからなくてな、闇雲に行ってもあそこは歯がたたないってことがわかっただけだった、しかし…書棚一つだけでも、俺が火の地で見た書庫全部くらいの本があるな、流石に天界だと、素直に敬服したよ」

「あんた、本当に勉強したくてここに来たんだねぇ。やっぱ、火の子は真面目だわ」

「火の『子』はよしてくれ。大して年は変わらんと思うんだが?光の…オリヴィエ」

「こりゃ悪かったね、オスカー、他意はないんだよ」

「ああ」

「そういや、オスカー、あんた、夕飯、まだやろ?一緒に飯食わへん?と思ってたんや」

「あ、ああ、そういえば…火の地から送り出された時は夜で…何も口にはしてないが…それ以前に、今はここでは夕方なのか?」

「なんだ、ここの時計も見てなかったの?」

「実は、食堂の場所もよくわからない、案内をまだ全然見てないので…」

「あっきれた!建物内の位置確認もせず、開館時間も確認せず書庫に直行?よく、迷わなかったね」

「一度歩けば頭の中に地図ができるから帰り道に不安はなかったが…確かに資料室の使用案内も見ずに行ったことは、軽挙妄動だったと反省してるよ」

「よっしゃ、じゃあ、食堂でささやかな歓迎会がてら、色々レクチャーといこか。ここは、全体にきっちりしすぎてアソビのない処が、俺的には、イマイチなんやけど、規則性をつかめばわかりやすいちゃーわかりやすくできてる。何事もな。ついでに飯は結構いけるで。つか、留学生なんて、それしか楽しみないからなぁ」

「ああ、そうだね、じゃ、後はそっちで色々話そうか、さっきから立ち話のままだしね」

有無をいわさず、二人はオスカーを食堂に連れていった。

二人は気さくな性質らしく、軽く食事をし、純粋なソーマ(神酒)ではないが、それに近いらしい飲み物を酌み交わしつつ、オスカーから尋ねずとも、自分たちから色々なことを話してくれた。風の眷属であるチャーリーには、石造りの建物が並ぶこの街中は大層息苦しく気詰まりなことや、だから、煮詰まってくるとよく裏山に行くこと、裏山は奥に行くほど豊かな植栽があり、小川もあること、また、ここの施設棟に近いあたりには、馬場や庭園など整備された外施設があるとのことだった。そして「オスカーも気ぃくさくさした時は、なるべく山奥の方、行ってみるとええよ、風の匂いが…違うんや、そこまで行くとな」と、親切に教えてくれた。また、この宿舎の主要な建物や、その使い方、この食堂の開いている時刻などの実用的な知識をオリヴィエが事細かに教えてくれた。オスカーは、二人が親切すぎるほどだと思ったが、これが、この二人に特有の性格なのか、学生皆転校生という場所柄、相互扶助精神が発達しているのか…つまり、先輩格が新参者に色々とレクチャーする文化が持ちつ持たれつということで、習慣化しているから二人が世話焼きなのかまでは、わからなかった。もしかしたら、その両方なのかもしれない。

しかし、オスカーは少し気にかかることがあった。

何故か、二人の目に、たまに同情するかのような、哀れな人でも見るように、自分を見やる雰囲気を感じたからだった。

オスカーには、それが何故だかわからなかった。

内心首を傾げながら部屋に戻り、自分の机にあった学習予定表を見て、オスカーは秀麗な眉を片方あげた。

明日は、この学び舎の案内というか、オリエンテーリングで埋まっており、これは当然と思えたが、その後の1週間の学習予定表には所謂「学科」が僅か…一日につき、ほぼ一限しか、なかった。

オスカーに用意された学習プログラムの大半の時間は、ただ、「厩において馬の世話」と書いてあったのである。

「…これが…天界の学習プログラム…学習というより、ほとんど実技しかないが…」

オスカーの半ば独り言に、慌てたように、チャーリーが言葉を重ねた。

「気ィ落とさんと!あんただけやないから、オスカー、ここに来た火の子は、皆、厩掃除から始まるんやから」

「皆?ここに来た火の眷属は一様にか?」

「ああ、ここでは、火の子の修練は厩に始まり厩に終わるっちゅーてな、しかも、えらい気性の荒い馬の世話やらさられるいうんで有名なんや。なんでかは知らんけど。ただ、その分、ここまで来てなんで馬の世話やねん!って、よう我慢できんと、飛び出してまう連中も多いんやけどな」

「俺の前にこの部屋にいた火の眷属もそうだったのか?」

「ああ、こんなことしに、わざわざ天界にきたんやない言うて…」

「こら、おしゃべりが過ぎるよ、チャーリー」

「あ、わるぃ。ここにおれへんヤツのこと言うんは、フェアじゃないもんな」

「ああ、すまん、俺が聞いたせいだな。だが、おかげで、これが火の眷属としては標準的教育プログラムだということがわかったぜ、礼を言う」

「いや、まぁ…な、ははは…」

チャーリーが空々しく笑い、オリヴィエが非難がましい横目でそんなチャーリーをねめつけているのが見えた。

オスカーはその空気を断ち切るように言った。

「いや、皮肉じゃないぜ、本心から、俺は感謝してる。あんたたち、本当にいいヤツだな、会って間もないが…なんとなくわかる、だから礼を言ったのも本心からだ」

少なくとも、オスカーは、チャーリーのおかげで先刻耳にした二人の会話の意味…火の子は回転が速い、これ見て回れ右しちゃったんじゃないか…等の意味するところと、二人の同情を湛えた瞳のわけを得心できた。だから礼を言ったのは…言葉どおりの意味合いではないが、素直な心情でもあった。

「色々、気を使わせたみたいだな…だが、心配はいらない…俺は、当分の間…天界の方からもう出て行けといわれるまで、この部屋にやっかいになるつもりだ。そうして…あんたたちに、火の子といえど、回転の速くないヤツもいるってことを見せてやろう」

にやりと笑ってオスカーがこういうと、オリヴィエとチャーリーは一瞬、互いに顔を見合わせると、一緒に笑い出した。

「はは…あんた、いい、いいよ、オスカー」

「あー、ほんと、あんたとなら、なんか、巧くやれそうな気ぃするわ、改めて、よろしくな!」

チャーリーがオスカーの背中をばんばん叩いてこう言った。

「実はな、今まで同室になった火の眷属は、大概、もう、あの時間割見ただけで、膨れたり怒ったり拗ねたり、大変やったんや。なんで、こっちも火の子はいっつも腫れ物扱い…まではいかんけど…だって、俺らが怒られる筋合いや、息潜めてる義理はないからな…にしても、なんか、空気悪うて、やりにくいわーちゅー感じやったんや」

「回転も速いし、か?」

笑みを含んだ口調でオスカーが問いかける。

「せや、皆、一緒やから辛抱しぃっていうと、また、他の奴らと一緒にすな、みたいに言われてなぁ、そういうのに限って…いや、そういう性格やからかもしれんが、マジ回転が早いんや。この前、ここに来た思うたら、あっという間に出て行ってまう。正直、火の子って扱いにくうてかなんわー、ちゅーイメージあった」

「まぁ、自分は選ばれて来たんだって思うと、頭がガチガチになっちまうのかもしれんな…ここに来たことがゴールじゃないのに、勘違いしちまうんだろう…」

オスカーが他人事のように言った。

オリヴィエが感心したようなに瞳を見開いてから、ふふんと、顎をしゃくった。

「オスカー、あんた、確かに、今までの火の子にはいなかったタイプだわ」

「そうか?…自分ではよくわからんが…」

オスカーは、自然とアンジェリークに思いを馳せた。そうだ、アンジェリークも言っていた、俺に教えてくれた、俺は…火にしては珍しい、動き流れる性なのだと、だから、他の火の眷属とはものの見方、感じ方が少し違うのかもしれない…アンジェリークとの出会いは、彼女と交わした言葉は、俺の隅々にまで染み渡り、自然に息づいている、そんな風にオスカーには思えた。

ただ、回転が速いという火の眷属たちの心情も理解はできた。

招聘された学生はここに勉強に来たと思っている…俺だってそうだと思ってた…そんな学徒に課せられた課題が「厩での馬の世話」では…人によっては「俺は馬小屋の掃除をするためとか、馬番になりにわざわざ天界に来たわけじゃない!」と確かに怒髪天を突くかもしれない。天界に招聘されるのは、大層な名誉だ、周囲もそう持ち上げるし、本人もそう思って天界に来る、ところがさせられるのは馬の世話ばかり…ろくに勉強もできない、させてもらえない、となったら、確かに「こんなはずではない」と当てが外れて、やる気を失なったり、自棄になるものもいるかもしれない。自分の力を研鑽できないと思って、焦りや苛立ちを感じ、自分を送り出してくれた火の眷属に向ける顔がないと感じるかもしれない…。

だから、彼らが俺に同情的な視線をなげていたわけも、今となっては、よく、わかった。

なにせ、俺は天界に来るや否や、いきなり書庫に入り浸り、いかにも勉強熱心みたいに彼らにアピールしてしまったからだ…でも、彼らは、火の眷属は、馬の世話が主な課業でそうそう学科を取らせてもらえないことを知っていた、しかも、火の子は回転が速いと言及していたということは…俺の前に、この扱いを不当として飛び出した…つまり故郷に送還された火の眷属を見知っていた。それも一人、二人ではすまないのかもしれない。だから、直接的には勉学と何の関係も無いプログラムを俺がみたら、彼らとしては、俺がやさぐれるか爆発するに違いない、こんなに勉強好きみたいなのに、勉強させてもらえなくて、かわいそうに…と、それは実は誤解だが…彼らが哀れみの目で俺を見たのも無理ないな、とオスカーは思った。

しかも、そんな自分の境遇をこの二人は気の毒に思い、結構、真剣に案じてくれたらしい…特にチャーリーのフォローは親身なものだった…この二人は、本当に純粋に気持ちのいい奴らなんだなと、まだ会って間もないが、オスカーには心の底から思えた。自分は、ルームメイトに恵まれたようだな、と。

「じゃ、せいぜい、辛抱して、私らの火の眷属に対するイメージっていうか、固定概念を打ち破ってほしいもんだね」

茶化しているのか、激励しているのか、よくわからない言葉をオリヴィエが投げてきた。

「そのために滞在記録を更新しようとしてるわけじゃないけどな」

「あっはは!それ聞いて更に安心した。『じゃあ、がんばるぜ』なんて言われたら『おいおい、何、勘違いしてんのさ、あんたは、火の子の悪評を挽回するためでも、私らのためにここにいるわけでもないでしょ』って言わなくちゃならないかと思ったよ。実は、私、そういうべったりした馴れ合い・もたれあいなお付き合いは、好きじゃないんだよねぇ、私。共同生活だからこそ、つかず離れずにしないと息苦しくなるからね」

「…あんたの言いたいことはわかるが…それにしても、あんたは見た目より食えないヤツみたいだな、気にいったよ」

「そりゃ、どうも〜」

「あー、いいなー、俺もよーせてー。二人でばっかり仲ようなったら、イケズやん」

「仲よく見えるって?俺達がか?」

二人で同時に唱和してしまい、オスカーとオリヴィエは二人で顔を見合わせて笑った。

だからではないが、オスカーは、厩で馬の世話をしろといわれても、怒る気も自棄になる気もおきなかった。勉強すること自体が、オスカーの第一義ではなかったからでもあるが。

今までの勉強も身体を鍛えてきたことも、俺には手段であって目的ではない。このプログラムを考えたのが誰だか知らないが、わざわざ無意味なことをさせるとは思えない、それなら、その意味を見出してから、不満を言っても罰はあたるまい。万が一、単なる嫌がらせとかなら、俺は、天界の見識を疑うだけだしな。俺は、教練…これも教練といっていいのならだが…の合間に、書庫でしらべものをさせてもらえる時間があるのなら、とりあえずはOKだ。

それに、オスカーは、馬の世話ということに、何か引っかかりを感じた。というのも、火の眷属は、その性質からして、一般に動物に好かれない、動物は火を恐れるから、知能の高い哺乳類ほど、火の性を感じると怯えて逃げていくのが普通だからだ。

『天界の馬は、火の性を恐れないのか?それとも、怯える馬を手なずけること自体が課題なのか…』

オスカーは、プログラムの意図を怪しみ、その疑問を解くためにも、真面目に厩に通おうと心に決めた。

こうして、天界でのオスカーの生活が始まった。

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