STEP 2

このとき、俺は、目前の、自身の内部の問題を処理するので、すでに一杯一杯だったのだが、

「さて…父上にも、挨拶をせねばなるまいか、息子としては…」

クラヴィス様が誰に言うともなく呟きざま、象アザラシのような重々しさでー先刻、アンジェリークの前で軽やかに身をかがめた時とは大違いの、いかにも鈍重な億劫そうな動きだったーずずいと俺の方に体を向けた時、俺は、クラヴィス様の意図が(全然理解したくなどなかったのに)見間違えようもなくわかってしまい、わかってしまったからこそ、完璧に身体は硬直、思考回路はフリーズして動けなくなった。すでに残りHP1桁になっていた俺にこの事態はヘヴィすぎた、完全に俺の処理能力を凌駕していた、俺のCPUではこの事態は対処し切れなかった。この瞬間、この場から逃げ出したい衝動が、俺の身体中、嵐のように吹き荒れた。それでも、俺は、この逃亡衝動を必死におさえ込みつつ、先刻からの荒い呼気のせいでからからに渇いた口腔に張り付いて上手く動こうとしない舌を、すんでのところで無理矢理引きはがすと

「いい!結構!遠慮します!クラヴィス様、俺には、息子からの父への挨拶は必要ありません!それには、及びませんので!」

と、ぎりぎりのタイミングで、叫ぶことができた。

とはいっても、俺が出来たのは最低限、絶対必要な意思表示のみなので、クラヴィス様が彼の意図を諦めたとわかるまでは、まだ気が抜けない、油断ならない。万が一、食い下がられたら、俺は、一体、どうすれば…を考えると、俺はハリネズミのごとき心境だった。

しかし、ここで、クラヴィス様はあっさり引き下がりーその動きは、アンジェリークを前にした時と同じくらい、颯爽として素早かったー

「それは、助かる、私もあまり気乗りしなかったのでな」

と、小憎らしいことをさらっと言った。

『だったら、最初からトライしないでほしい』と、俺は、心の中でぶつくさ言った。心の底から安堵もしたのだが、なんとなく面白くない。いや、無論、こんな大きな息子からーしかも、相手はよりによって、という言い方は失礼かもしれないが、俺としては偽らざる心境であるところのクラヴィス様だー挨拶のキスがほしいわけではなく、あからさまに気乗りしないなら、何故、俺を、こんなにも脅かす必要があったのか。明らかに、俺は、からかわれたのではないか、と憮然たる心境だったからだ。

俺の立場は真剣に風前の灯火だったのだ、あのままクラヴィス様ににじり寄られていたらー何せ、クラヴィス様は俺より僅かだが目線が上なのだ、圧力を感じないわけにはいかないーその上で、クラヴィス様の唇が、たとえ、頬であっても近づいてこようものなら、俺は、ハジも外聞もなく、しかも、自分は全然悪くないのに、それだけは勘弁してください、と叫んで逃げ出しかねない処であった、強さをつかさどる炎の守護聖たるこの俺がだ。そんな情けなくもみっとも恥ずかしいマネをした暁には、俺は、もう、この聖地で生きていけない、お嬢ちゃんにあわせる顔がない、娘の前に顔を出せない、それくらい、のっぴきならない状況に俺は追い込まれていたのであり、俺のアイデンティティーは崩壊寸前であったのだ、憤懣やるかたない思いにとらわれても、仕方ないだろう?

それでも俺は、精一杯、何でもない風を装い、ひくつく口元をなだめつつ、勤めて冷静な口調を保って

「そ、そ、そうですか、俺も、息子からのキスは気乗りしない…いや、俺に限らず、成人した息子から、キスをほしがる父親というのは、あまりいないと思いますので、どうか、今後はお気遣いなく…」

と、幾分の皮肉をこめて「息子からの親愛のキスは、遠慮したい」旨を伝えた。

俺は『これは嫌がらせか?俺、いいように遊ばれてるのか?完璧、からかわれているのか?』という思いをぬぐいきれなかったから、せめて一太刀とばかりに皮肉めいたことを言ってみたのだが、ここで、俺は、思いもかけぬカウンターを食らった。

「そうか、これが普通に、極自然にアンジェリークとキスをかわしていたのでな、親子とはそういうものかと思ってな。知っての通り、私は、ものごごろつくか、つかぬかという年頃に産みの親から引き離され、この聖地で育った。ために、長じて後、普通の親子が、どのように触れ合い、接しあうものか、よくわからなくてな。これのする通りにするのが、よかろうと思って、まねてみようとしたのだが…息子と娘では、親への接し方も異なるものなのか…」

『て、あれ、素の行動ですか?なんの作為もなしですか?お嬢ちゃんへの下心も、俺への嫌がらせもなしって、んなこと、信じられますか!』

と俺自身は、抗議の声をあげたかったが、その前に

「クラヴィス様…」

と、心に響く母娘のハーモニーが俺の耳をうった。

まずい、完全に二人の女心のー特に母性愛の部分のツボに、クラヴィス様の言葉がクリーンヒットしたようだ。そこに、クラヴィス様の、更なるとどめの一言が炸裂した。

「なので、義理とはいえ、母ができて…母と呼べる人ができて、嬉しくてな、つい、はしゃいでしまったようだ。私は本当に果報者だ、こんなにも美しく愛らしい妻を娶ったら、こんなにも麗しい母上まで、できたのだからな…守護聖の身で、この年になって、このように暖かな家族を与えてもらえるとは…何にも替えがたき喜びとは、こういうことを言うのだな…」

「クラヴィス様…」

再び女声ハーモニーが俺の耳に麗しく響いた、まずい、ひっじょーにまずい、母娘そろって、胸をきゅんきゅんさせている音が聞こえてくるようだった。

「いや、これは俺の妻で、そっちは俺の娘ですから!」

「当たり前だろう、一々、指差し確認、声だし点呼をせねば、自分の妻もわからんのか、父上は。まあ、同時に、こちらは私の母で、これが私の妻であることも確かだからな、声に出して確認せぬと、わからなくなってしまったか?」

余裕の笑みを浮かべるクラヴィス様に、何故か、俺は、たじたじだ。

なぜだ、お嬢ちゃんに対しても、ディーに関しても、俺の方が、絶対、第一義的な立ち位置は近いのに、近いはずなのに、近いと思うのに、クラヴィス様のあの圧倒的に余裕綽々な態度を見ていると、俺は、もう、なりふり構わず、このデンジャーゾーンから、一刻も早く妻を攫って、回れ右で逃げ帰りたい気持ちが沸き起こって仕方なかった。着たばかりで、そんなわけにはいかないのは、百も承知だったが。

 

親子間の型どおりーと認めるには、俺は釈然としない思いで一杯であったがーの挨拶が済み、そのダメージを引きずって、立ち直れぬまま客間に通され、茶菓でもてなされた。そして、俺たちが訪れたのが夕刻のこととて、夕食も一緒にという話の流れとなった。

娘が、このまま夕食もこちらで是非にといって、強く勧めてくれる言葉が嬉しい一方で、「ああ、娘は別の家の人間になってしまったのだなぁ」と改めて思い知らされ、俺は少しばかり悄然とする。

ただ、今のところ、ジュリアス様から依頼された話を出すきっかけがつかめず、この件を、いつ、どのように切り出したものか、いや、そもそも切り出せるのか?と思案していた俺としては、夕食まで滞在できるのは願ったりではある。

というのも、俺は娘が同席している場で、この話題を出す気は、さらさらなかったので、よい機会を待ちたい、という気持ちがあったからだ。

クラヴィス様が、聖殿に疾風のように現れて疾風のように去っていくという現状では、職場でクラヴィス様を捕まえることは難しい、となれば、クラヴィス様と言葉を交わす機会はーそれが今日でなくともー私邸以外ではありえない。だが、クラヴィス様の私邸には、本人があずかり知らぬ処で、この件に深く関わっている我が娘が居るわけで、クラヴィス様の極端な早退をジュリアス様が問題視している旨を娘が知れば、娘はそれはもしや自分が屋敷に居る所為かと心を痛めることは必定、そして当然のように「私のことは心配せず、お仕事に専念なさってください」とクラヴィス様に言いだしかねない。

幼少の砌より、守護聖の仕事を間近で見て育ってきた俺の娘は、だからこそ、執務の邪魔になるようなことはせぬよう振舞うのが習い性となっている。聖地という特殊環境で育ち、一種の異能者に囲まれて育った一方で、本人はあくまで極普通の少女として長じたディーは、万事において、思慮深く、慎み深く、控えめでおとなしい性質の娘に成長していたので、こんなことを知れば、自分の責任を必要以上に重く感じて心を憂いで曇らせてしまうだろう。俺は、娘を悩ませたくないし、なおかつ、そんな事態になれば、俺は、絶対、クラヴィス様から恨まれる。こんな問題提起で娘の心を痛め、義理の息子から恨まれたらたまらん、全く割りにあわないぜ。男は…中でも父親は辛いよ、ってのは、このことだ。

なら、ジュリアス様の苦言など無視&スルーしちまえばいいって思うだろう?

だが、俺は一般論としてなら、ジュリアス様の苦言に頷ける部分があると思ってしまったところに加え、仕事に対する真面目な性分が災いして、無視して済まそうとするのは、どうにも、自分が居心地悪く、気持ちが落ち着かない。

そして、それ以上に、クラヴィス様の職務怠慢が、我が愛娘の存在の所為、娘と結婚したからだ、なんて、ジュリアス様から、ひいては女王府の職員たちから悪く思われたら、俺の娘がかわいそうじゃないか、という親心があって、無視できない気持ちがあった。クラヴィス様の職務怠慢は今に始まったことではないが、結婚後、その怠慢ぶりに拍車がかかったとみなされれば、職務怠慢の原因=わが娘、と直結されかねない、そんなことになったら、俺の娘がかわいそうじゃないかっ!

なので、俺としては、ディーのいない時を見計らって、クラヴィス様に『できればディーの立場を慮って(ここを強調するのがポイントだ)多少、振る舞いを改めてもらえないだろうか』とお願いしたいと、考えていた。

もっとも、俺の男の本能は先刻から最大級の警戒警報を鳴らしたままでーこの屋敷は、クラヴィス様の傍は何か危険だ、とにかく油断がならない、といういやーな感覚がそこはかとなしで、一刻も早くお嬢ちゃんをつれて自分の家に帰りたいぜ、という気持ちも抜きがたくあるのだが。

しかし、僅か半月会わずにいただけなのに、仲良し母娘は、きゃっきゃと楽しそうに互いの近況を報告しあっている。おしゃべりに熱中している様子から、このままゆったり滞在するのは、もはや規定路線と母娘とも思っていることは明白だった。

「ママ、ごめんなさい、私ったら、今まで、ママやパパに元気にしてるって連絡もしないで…私から、そちらに遊びに行くどころか、パパとママの方から来てもらってしまって…」

「ふふ、いいのよ、あなたが元気で幸せなら…新しい暮らしに慣れる方が先だし、大事だもの」

その様は、仲のよい美姉妹のようだ。妙齢の娘とはいえ、俺に似て大人びた色香のあるディアンヌと、成熟した女性でありつつも、いつまでも砂糖菓子のように甘やかでかわいらしい雰囲気のお嬢ちゃんが並んでいると、どちらが姉か妹かわからない双子のようでーただ、似ているとはいっても見かけの印象が異なるから、二卵生の双子の姉妹という方が印象としては近いかー匂い立つ様に艶やかに麗しい女性二人が、にこやかに幸せそうに微笑み語り合っている様は、その華やかにして愛くるしく微笑ましいこと、地上の楽園も斯くやである。

俺は、娘が嫁に行く前に、母娘の肖像画、さもなくば、家族写真をきっちり撮っておくべきだったと、今更ながらに激しく後悔しつつも、こんなにも素晴らしい女性が身内である俺はー何せ二人並ぶと本当に妖精か女神か仙女が戯れている如き愛らしさなのだーなんと果報者よ、と心から感じいっていた。

しかし、考えてみれば、それは、いまや、眼前のクラヴィス様も同じなわけで…同じ立場になったわけで…と思うと、俺としては、なんだか、なんとなく面白くない、ような気がする。

そんな、自身のもやついた心境はさておき、この仲睦まじい母娘の様子を見るに、俺は、今宵は堅い話をする機会は見出せないかもしれない、その時は、内々に時間を割いてくれと、俺からクラヴィス様にこっそりお願いするしかないかもな…と、思案をめぐらせていた。

俺が善後策を考え込んでいる最中も、妻と娘夫婦は、和やかな歓談を進め、ことに婿殿はなにやら殊勝なことを俺の妻に話している。

「義母であるそなたにそういってもらえると、私も助かる。義母上が優しく鷹揚なことに、感謝の言葉もないな…本来、娘夫婦たる我らから、そちらの屋敷を訪ねるのが、筋であるのは、わかっているのだが…」

「そうなの、ママ、結婚してみて、初めてわかったのだけど、その、毎日が本当にあっという間なの。気がつくと一日が終ってて、いつのまにか眠ってる感じで。さあ朝だわって思っていたら、知らぬ間に時間が経ってて、気がつくと遊びに行くにも連絡するにも遅い時刻になってしまってたり、それで、また、眠ってしまってたりの繰り返しで…」

「それって、なんだか、私も、ものすごく身に覚えがある感覚だわ〜。結婚してすぐって、夢うつつのウチに時間が経ってしまって、気がつくと1日が終っていたりするのよねぇ、さっきまで朝だと思ってたら、もう夕方だったり、夕方だと思っていたら、自分でも気付かない内に寝入ってて、いつの間にか朝になってたり…自分でも、起きてるのか、夢をみてるのかわからないような、いっつも、ふわふわの雲の上にいるような感じで…」

「そう!まさしく、そんな感じなの!ママも同じだったの?よかった…私、こんなにも時間の感覚がつかめないなんて、どこか、おかしいのかもってちょっと不安だったの…結婚して、しばらくは、その…今日がいつなのか、結婚式の日から何日経ったのかも、よく分からなかったりで…」

この母娘の会話を聞いた時、俺は、飲んでいたコーヒーに盛大にむせそうになった。

『それは、新婚当初、俺は、お嬢ちゃんと一緒の時は、四六時中お嬢ちゃんを愛撫しまくりでー有体にいって触ってるか、舐めてるか、いれてるかだったものだから、いつもお嬢ちゃんは夢うつつか、高まりつつあるかのどっちかで、そうこうするうちに俺のボルテージも上がっちまって、結局、お嬢ちゃんをとことん愛しぬいちまうものだから、お嬢ちゃんは、大抵、果てた末に失神して、そのまま寝入っちまう、ってな感じが、毎日、繰り返しだったから、お嬢ちゃんも時間と日にちの感覚がなくなっちまってたわけで…で、ディーがそれと似たような毎日を過ごしてるってことは、つまり、時間の感覚を失くすほど、クラヴィス様は、俺の娘とむにゃむにゃむにゃ…してるわけで、それって、実は、俺とクラヴィス様って、行動パターンが似てるってことかぁ?ぐぉ…』

と、またも、俺は、思いもかけぬところで、ダメージを食らって、言葉を失ってしまう。まったく、この屋敷は危険だ、危険すぎる、どの藪から蛇がでてくるか、しれたもんじゃない。

しかし、俺の内心の動揺など知る由もなく、次々と与えられる精神的ダメージゆえ、俺が口も挟めずにいるうちに、妻と娘夫婦の会話は、どんどん進んでいく。

「幸せな時間は、早く過ぎるっていうでしょ?それだけクラヴィス様と一緒に過ごす時間が幸せで、ディーは幸せな気持ちで一杯だから、あっという間に時間が経ってしまうんじゃないかしら。わかるわぁ、私もオスカー様と一緒に過ごしてると、いつもそんな感じですもの。でも、それって、それこそ、とっても幸せなことだから…オスカー様も、そう感じてくださってたら、嬉しいのだけど…ね、オスカー様?」

「へ?あ、ああ!お、お嬢ちゃん、俺もまったく同じだぜ!君と過ごす時間は、惨いほど、早く過ぎ去ってしまうものさvいくら追いかけても足りないくらいだぜ」

さりげなく、自分に会話を振ってくれる妻の機転を、俺は、なんとか、逃すことなく捕らえることができた。そして、計算のないお嬢ちゃんの優しさ、いたわりに、俺は、更に彼女に惚れ直す。

「その点に関しては、私も義父殿と同意見だな。毎日があっという間に過ぎていく。こんな感覚は、守護聖になって初めて味わう、新鮮で喜びに溢れるものだ。それもこれも、そなたたちの娘御がもたらしてくれた」

「クラヴィス様…」

「ふふ、ディー、あなた、今、すごく幸せそうな…私も見たことないほど、幸せそうな顔してるわよ?あなたが幸せなのは、一目見てわかったけど…ママ、こんな、あなたの顔を見られて、とっても嬉しいわ」

「ママ…うん、私、今、恐いくらい幸せなの…クラヴィス様は優しくて…優しい上に…あ…」

続けて何か言いかけて、ディアンヌが、頬を真っ赤にそめて、口ごもった。なんとなく、何を続けようとしたか、わかってしまう、わかってしまうのが、また父としては悔しい俺である。

「なんだ?その続きを聞かせてもらえぬか?私の子猫よ…」

そういうと、クラヴィス様は、「俺の」娘をぐいと抱き寄せ、桜色の耳朶を今にも舐めるような体勢で、低い、しっとりとした声音でささやいた。

『子猫?』

その振る舞いにも目をむいたが、俺は、俺の目より、耳を疑った。

なにか、クラヴィス様の唇から、ありえるべからざき単語が聞こえたが、いや、まさかな。

「恥ずかしくて、こんな処ではいえません…」

「ならば、二人きりの時に…ベッドの中で、話してもらうとするか」

「クラヴィス様ったら…だめ…そんな…いえない」

「なら、言わずには、いられぬようにしてやろう、楽しみにしているがいい、私の子猫よ。また、どれほど、かわいらしい声でおまえが鳴くのかと思うと、私も楽しみだ」

「や、もう、知らない、クラヴィス様のばか…」

…なんなんだ。このベタ甘台詞の応酬は。いやもう、居たたまれないとはこのことか、義理の両親の前で交わされる会話だろうか?これが。それとも、父としては、娘が、ここまで婿を虜にしていることを、喜ぶべきであろうか?

それはそれとして、俺は、どうしても気になって確かめずにいられないことがあった。

「クラヴィス様、あのーお言葉ですが、子猫というのは…もしや…」

今までの文脈から『子猫』の意味するところは、一つしかない、いや、だが、しかし、こんな臆面もない呼称をクラヴィス様が口にするのか?いや、それでいったら、この10分くらいで、もうげっぷがでるほど(失礼)臆面もない台詞を聞いた気がするが、いくらなんでも、な気持ちも、否定できず、俺は、恐る恐る、躊躇いがちに尋ねてみた。

「無論、そなたの娘御だ。それ以外おるまい?」

しれっと、クラヴィス様が答え、その恥ずかしげのない様子に、尋ねた俺の方が赤面してしまう。その上、クラヴィス様は、更に大胆にも、「俺の」娘を、ひょいと抱きあげて、彼の膝の上、いや、脚と脚の間か?に下ろし、大きな掌で、愛しげに娘の髪から背のラインをなでさすり始めた。

「きゃ…」

娘が恥じらいと戸惑いの小さな声をあげると、その声に更に力を得たように、クラヴィス様の手の動きは大胆になった。

「暖かく、やわらかく、なつっこく、この上なく愛らしい、私の大事な子猫だ。撫でれば手触りは極上で、鳴き声もまた、格別に愛らしい、いくら愛でても飽きることがない。撫でれば撫でるだけ、かわいらしく喉を鳴らして、率直に喜びを訴えてくれるのでな…つい、私もキリなく、かわいがりたくなってしまう」

親の前で遠慮会釈なく娘の髪を撫で続けるクラヴィス様に、俺は父としては、驚き呆れるばかり、かつ、どうにも目のやり場に困ってしまう。母であるお嬢ちゃんは、今のこの状況をどう感じているのだろうか、俺のように、居たたまれない思いは感じていないのだろうかと、ちらりと妻のいるほうに目をやると、お嬢ちゃんも、びっくり&感心?という面持ちで、娘夫婦の仲睦まじい(すぎる)様子を、見守っていたが、俺のような居心地の悪さは感じていないようだった。娘夫婦の熱々ぶりに、少々照れつつも、若夫婦をほほえましくみつめている、といった風情だ。

確かに、娘夫婦の仲が良いのは喜ばしいことであるし、世間に認められた夫婦がどれほどいちゃいちゃべたべたしようが誰にはばかるものでもないし、ここは公共の場ではなく彼らの私邸なのだし、同席している俺たちはいわば身内だし…と考えれば、俺も、婿殿を諌めるほどの大義名分があるとも思えず、第一、そんな真似は無粋だ。

よし、わかった、俺も男だ、新婚半月といえば、それは、もう、寸暇を惜しんで新妻とべたべたしたい時期に決まっているのだから、俺は、話のわかる父として、己の居たたまれなさは横において、大人の余裕を見せてやろうと心に決め…いや、きめようとした、その瞬間に

「まあ、子も為した仲の妻に『お嬢ちゃん』と呼びかけるのも、かわいい新妻に『子猫』と呼びかけるのも、大して違いはあるまい?」

笑みを含んだ声音と涼しい顔で、予期せぬ追い討ち(としか俺には思えなかった)をかけられて、俺は「ぐはぁ」と心の中で吐血した。妻を「子猫」と呼ばう台詞を傍で聞いていると、居たたまれないほど恥ずかしいのだが、それって、俺も実は同じだったのか?俺って、そんな恥ずかしいことをしてたのかー!と、第3者の視点に立たされて初めて気づかされる。

そこで、俺は、はっとした。お嬢ちゃんは、もしや『お嬢ちゃん』と呼ばれるのが、恥ずかしかったり、照れくさかったりして、本当は嫌だったなんてことはないんだろーか!?と(今更ではあるが)ものすごい不安に駆られ、あわてて横をみやれば、お嬢ちゃんも、クラヴィス様の指摘がやはり照れくさかったのか、もじもじしつつ、俺に向けて照れ笑い?のような笑みを向けてくれた。そのお嬢ちゃんの笑顔の中に、マイナスな感情は微塵も見うけられなかったので、俺は、心のそこから安堵した。

と、俺が安堵の吐息をついているそのそばから、クラヴィス様は、遠慮会釈なく、俺の娘の髪をいとおしそうに撫で、時折、掌で巻き毛の房を掬い転がしている。その上で、抱え込んだ娘の頭頂部に口付ける。父の俺からみると、やりたい放題だ。

と、淑やかで、控えめなウチの娘が、困ったように身じろぎした。

「クラヴィス様…困ります…恥ずかしいわ…パパとママがいるのに…」

わが娘の恥じらいと困惑の表情に、俺は「ああ、うちの娘はつつしみを忘れてなくてよかった…」とほっとしたのもつかの間

「なに、家では、おまえの両親も、似たようなものであったろう?」

「そ、それは、そうなんですけど…」

ここで、俺は、またも予期せぬクリティカルヒットを食らった。娘のディーから見たら、俺も、こんなに見境なく、恥ずかしげもなく、お嬢ちゃんといちゃいちゃしてたってことかー!と。しかし、思い当たるところがありすぎて、何もいえない。

「でも、パパとママも、お客様がいらっしゃる時は、そんな…」

しかし、ここで図らずも娘の助け舟が出されたことで、俺は、がば!と顔をあげた。

そうだ、そうだよな?ディー。おまえの両親は、ここまで傍若無人じゃなかったよな?な?と、俺が、僅かに精神ダメージから回復しかけたその時だった。

「なんの、おまえの父は、私どころではなかったぞ、何せ、多くの守護聖の面前で、もうちょっとで、おまえの母の美麗な胸乳をさらして、臆面もなく愛撫…」

「わーわーわーわぁああー!」

「きゃ!パパ、ど、どーしたの…」

「なんでもない、なんでもないぞぉ!ディー、クラヴィス様から何を聞いても、気にしちゃ駄目だぞぉ」

俺は、この屋敷に足を踏み入れてからというもの、ずっと心臓どきばく、いやーな汗で全身びっしょりだったが、今ほど生きた心地がしないというか、がけっぷちに立たされた気分になったことはない。

これだけは…これだけは、ディーに知られるわけにはいかない。愛ゆえの暴走とはいえ、公衆の面前で妻の美しい乳房を露にして、その可憐なつぼみを臆面もなく愛撫する気まんまんだったのは確かに紛れもない事実で、でも、愛しい妻(であり母)に、俺が、そんな恥ずかしい思いをさせる処だったなんて娘にばれたら「パパ、信じられない!ママの優しさに甘えて、ママにそんな恥ずかしい思いをさせる気だったなんて!」と娘から最大限の軽蔑・侮蔑を受けること必至である。しかも、全て事実であるから、全く言い逃れできない。『クラヴィス様の言葉を信じてはいけない』とは言えず『気にするな』というのが今の俺の精一杯だ。効果があるかどうかは、甚だ疑問だが。

なんて…本当に、なんてやりにくい&扱いにくいんだ、同じ守護聖、しかも、先輩格が、義理の息子っていうのは!俺の過去の所業を、ほとんど知っているてのが、とにかく致命的だ、やっぱり、結婚を許すんじゃなかった!と思っても後の祭りだ、わかってるぜ、くそー!特に、ディーのあんな蕩けそうな顔をみせられちゃなぁ、まったく、男親は辛い。自身の過去の行いが跳ね返ってきただだけとか、自業自得とかは、聞こえないことにする。

お嬢ちゃんも、クラヴィス様の言葉で、過日の出来事を思い出したようだ。お嬢ちゃんのどきんちゃんコスプレの愛らしさは筆舌に尽くしがたいほど色っぽくてかわいくて、そこはかとなく魅力的だったので、この記憶を想起したことで、俺は、ちょっと慰められる。

「そ、そういえば、そんなこともありましたね…あの時は私も無我夢中でしたから「それでもいい」なんて言っちゃったけど、今、思うと…きゃ…いやーん!オスカー様のばかばかばかぁv」

お嬢ちゃんが昔の思い出に、照れくささから、小さな拳で俺の胸板をほんの軽くぽかぽかと叩いてくる。アンジェリークが、照れているだけで、怒ったり、気を悪くしていない様子なのが、俺には、せめてもの、そして、何よりの救いである。しかも

「でも、とっても恥ずかしかったけど、オスカー様のためなら何でもできる…って気持ちも、本当でしたよ?」

と、付け加えてくれる妻の優しさに、じーんと俺の胸が震えた。が

「すまなかったな、お嬢ちゃん、あの時は俺も余裕がなくて…」

と語った瞬間、動体視力のよさが災いして、俺の目は、視界の端でクラヴィス様が

『ふ…』

と、薄く微笑んだような表情を捕らえてしまい、その笑みがまるで『今なら、余裕があるとでも?』とでもいいたげな笑みのような気がして(俺のひがみ、もしくは、被害妄想かもしれないが)『うぉ(効果は抜群だ…)』と、更なる精神ダメージを受ける。

その上、クラヴィス様は、面白がるような笑みを口元に貼り付けたまま

「その時のおまえの暴走に比すれば、私が自宅で妻を懐に抱くくらい、何の問題があろうか?少なくとも、私は、公衆の面前で妻の衣服に手をかけて、胸乳を衆目にさらそうなどとはしておら…」

と、続けようとするので

「がほごほげほん!…」

俺は、わざとらしいのも、見え透いているのも、娘にいぶかしがられるのも承知で、喜劇のような咳払いで、この場をしのぐしかない。

もう、俺は息も絶え絶えな気分だ、クラヴィス様のおっしゃることがすべて真実だからこそ、生きた心地がしないんだが、という自覚があるので、余計に救いがない。

と、俺が、満身創痍な気持ちで、ふと顔を上げると、クラヴィス様の手だって、当時の俺に負けず劣らず縦横無尽に俺の娘の上を這い回っている、ように、俺には見えた。

「ちょ…クラヴィス様、ご自身だって、その手は?手をどこにやってるんですかー!」

「子猫を懐に抱いていれば、撫でて愛でてやりたくなるのは、人情というもの…こら、だめだ、逃さぬぞ、おまえは、いつも、私の傍にいると言ったであろう?私も離さぬと、な…いつも、その温もりが伝わるほどに近くに…だ。温もりの感じられぬ処に離れてはならぬ、私のかわいい子猫よ…」

が、何を言われようと、クラヴィス様は態度も口調もあくまで泰然自若、ディアンヌの頭を撫で、ふわふわの金褐色の巻き毛を玩びつつその髪に口づけると、そのまま唇を滑らせ、娘の巻き毛を掻き分けて、耳朶をやんわりと食む。いや、もう、俺は驚きあきれる以外、どうすればいいのか。

「きゃ…もう…だめって言ってるのに〜」

娘は頬を染めて、その熱さを自分でも持て余すように軽くかぶりを振ると、その拍子にクラヴィス様と目があったようで、そのまま、ぽーっと潤んだ瞳でクラヴィス様の顔を見つめ続け始めた。紫水晶の瞳の魔力に魅入られているという雰囲気だ。

あわせて、2人のいるあたりから、なんというか、手で払いのけたいほど、ただならぬ濃密な色香が漂ってくる。

この薄紫にけぶるような濃厚な色香は、クラヴィス様から発せられているものなのか、それとも、信じたくはないが、わが娘の醸しているものなのか、もしかして、その両方か。つい、この前まで、本当に娘・娘していたのに、僅かな期間に、女性はなんと変貌するものか、と否応なしに娘の成熟ぶりを見せ付けられ、俺は泣きたいような気持ちになりつつ、一方で、この二人が、僅かでも離れる時間などないのではなかろうかと冷静に判断していた。もう、今日は、硬い話を切り出す機会をうかがうのは、やめよう、あきらめよう、と俺が思いかけた時であった。

お嬢ちゃんが、洗練された話術で、会話の流れを変えた。

「そういえば、ディー。お屋敷の方は、私たちが急に夕食を取ることになっても大丈夫なの?」

「あ、はい、パパから連絡をいただいた時に、準備をお願いしてたから」

「そう、じゃ、突然、お訪ねして、ごちそうになりっぱなしでは申し訳ないから、デザートは、私が作りましょうか?もし、厨房のお邪魔にならないようなら、だけど…」

「え?ママがデザートを作ってくれるの?じゃ、私、そう、厨房に、お願いしてくるわ!」

「じゃ、一緒に行きましょう、そうすれば、ディーに作り方も教えてあげられるし。気にいったら、覚えておくといいわ」

「うん、わかったわ!嬉しいなー、ママのデザート、久しぶり〜」

「ということなので、クラヴィス様、オスカー様、私たち、ちょっと、席を外させていただきますね」

そういうと、お嬢ちゃんは、ソファから立ち上がりしな、俺に小さなウィンクをなげてくれた。

その意味がわからぬ俺じゃないぜ。ナイスだ、お嬢ちゃん!

二人が客間を出て行きしな、クラヴィス様が

「あれも、おまえたちの…特にアンジェリークの前では、気持ちが子供に戻るのが、よく、わかる。くるくると変わる表情が、見ていて飽きぬが…あの甘えぶりには、少々妬けてしまうな」

なんともやさしげに瞳を細めて、2人の後姿を見送る。そのまなざしの暖かいこと、俺でなくとも、クラヴィス様の愛情の深さが、知れる…が、父としての俺は、娘を大事にしてくれてる様子が嬉しいのと、さびしいのと、僅かばかり悔しいので、ものすごく心境は複雑だったが。

が、しかし、俺は、せっかく、お嬢ちゃんが作ってくれた、娘の居ない、今、この時を無駄にする気はなかった、ジュリアス様からの言を伝える絶好のチャンス、この機を逃すわけにはいかない。

「クラヴィス様、かように、わが娘をこよなく大切にご寵愛くださてっていることに、父としては感謝の念で一杯なのですが…」

クラヴィス様が、何かに気づいたように、瞳を見開いた。

「なんだ?言いたいことがあるなら、はっきり言うがいい。ああ、それで、アンジェリークは、今、あれをこの場から連れ出したのか…」

「そのー若干、娘への寵愛の度が過ぎてらっしゃるような…気がしないでもないのですが…」

「そうか?おまえが新婚の時とさして変わらぬと思うが…おまえも、アンジェリークを外に出さぬものだから、妻を軟禁しているとリュミエールになじられていたが、何を言われようと馬耳東風だったではないか」

「いや、それを言われると返す言葉もないのですが…」

「今になって、よくわかるぞ、オスカー。夫婦の内のことは、その夫婦にしかわからぬ。そして、夫婦が互いに納得づくであれば、どのように日を過ごそうと、傍から何か言われる筋合いではない、そうであろう?」

「まあ、それは、その通りなんですが…」

と、俺は嘆息混じりに答えた。諦めと納得の嘆息だ。過去の自分を引き合いに出されてはー実際、クラヴィス様の言うとおりなのだから、強く打ってでることはできないし、俺自身、傍からとやかく言われて、お嬢ちゃんへの接し方を変えるなんて、情けない変節をする気は毛頭なかったし、今もないので、クラヴィス様の言に、俺は頷くより他ない。父親としても、こんなに娘を慈しんでくれて、ありがたいとしか言いようがないしな。

だが、クラヴィス様の娘への愛が深く真摯なものであるなら、なおのこと、考えてほしいことがあった。なにせ、ことは、俺の娘の風評にかかわることだ、父としては、譲るわけにいかない。もう、遠まわしや、回りくどい言い方はやめだ、潔く、単刀直入に直言しようと、俺は意を決して、顔をあげた。

「クラヴィス様にそこまで思っていただけ、娘は本当に果報者です、ですが、父の立場としましては、クラヴィス様が眩しいほどに娘を寵愛するあまり、執務に身が入らぬとか、責務を疎かにしていると噂された時、クラヴィス様を骨抜きにしたと、娘が悪く言われる恐れを否定できません。父の身としては、娘が、悪し様に噂されるようなことになれば、この胸の痛み、耐え難く…」

すると、クラヴィス様は、心底驚いた、という顔をした。あまり動じることのない彼にしては、相当珍しい表情だった

「!…その恐れは、私には思いもつかなんだ…そうか、私があまりなりふり構わず、あれに溺れていると、悪く言われるのは、溺れる私ではなく、溺れさせているあれになると、おまえは、それを懸念しているのだな…」

「恐れいります」

「オスカー、おまえが、アンジェリークにどれほど夢中になっていようと、アンジェリークを悪く言うものなどこの聖地にはおらぬ、それはアンジェリークには、それを当然と思わせるだけのものがあり、アンジェリークの人となりが、周知されているからこそ。私のように、妻を屋敷の中に囲い込んでいては、あれの愛らしさは、周りにはわからぬ、と、なると、誤解や思い込みから、どこからどんな中傷や非難が沸いてでるかわからぬ、ということか。確かにな…そなたたちが、この屋敷を訪れた時から、何か、あるのだろうとは思っていたが。して、ジュリアスが私に望んでいるのは、どこまでだ?」

「話が早くて助かります。最低限、午前中一杯は聖殿に詰めていてほしいと。さもないと、周囲に対し、示しがつかぬと仰せです」

「ふむ、私も、あれが悪く言われるようなことは本意ではない。考慮しておこう」

「恐縮です」

「私にも少し、焦りがあったのかもしれぬ」

「焦り?クラヴィス様がですか?」

「私もただの男だからな」

「はぁ…」

「ただの男」とは、これほどクラヴィス様に不釣合いな台詞はない気がするが、俺には、少し、その気持ちがわかる気がした。俺も、お嬢ちゃんを前にすると、似たような心境になることが間々あるからだ。

と、クラヴィス様は、突然、いたずらっぽい、見ようによっては、少し意地悪にも見える笑みを口元に浮かべ、こう続けた。

「ふ…流石は父親といったところだな、オスカー。私には気づかぬ視点から物を言う。父親になるというのも、また、得がたい、興味深い経験であろうな…おまえを見ていると、まこと、そう思う」

「め、め、め、滅相もありません」

「そう謙遜することなかろう、おまえたちは、立派な…申し分ない両親で、あの子猫が、あのように愛らしくも思慮深く、なつっこくも慎ましく、大層、良い娘に育ったのは、やはり、そなたたちが、あれに深い愛情を注ぎ、真っ直ぐ育てたからこそであろうしな…」

「重ね重ね、恐れ入ります」

クラヴィス様からの手放しの賞賛…申し訳ないが、ありがたいより薄気味悪い、という気持ちが、どうしようもなく沸いてくる(クラヴィス様が知ったら「失敬な」と言われるだろうことは承知の上だ)

褒め殺しか?これが、褒め殺しってやつか!?それとも、掌で転がされてるのか、俺、と思うと、物凄く居心地が悪い。その上、自分の娘が子猫よばわりされるのは、何度聞いても、やっぱり、いたたまれない。恥ずかしくて、照れくさくて、尻がむずむずして、どうにも落ち着かない。

なんとか、訪問の目的は果たせたようだし、こうなったら、お嬢ちゃん、早くこの場に帰ってきてくれーと、俺は、心の中でSOSをあげていた。

と、流石、俺のお嬢ちゃん、俺の救難信号をハートでキャッチしてくれたかのような、ものすごいグッドタイミングで、娘を引き連れ、客間に戻ってきてくれたのだ。

ところが、俺が『助かった…』と思ったのもつかの間

「オスカー様、クラヴィス様、遅くなって、ごめんなさい、初めての厨房だったので、思ったより時間がかかっちゃって…」

と、言ったところで、お嬢ちゃんは、ちらっとクラヴィス様の顔をみやると

「うふふっ…」

と、それはそれは嬉しそうに、楽しそうに笑ったのだ。

『なんで…なんで、お嬢ちゃんは、俺の顔じゃなく、クラヴィス様の顔を見て、あんなに楽しそうに微笑むんだー?!』

こよなく愛するお嬢ちゃんの笑顔に、こんな不安を覚えたのは、紛れもなく、初めてのことだった。

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